二人のキャプテンクック


日本の観光ガイドブックで、ギズボーンが載っている本は限られます。  珍しく載っていると、この写真の人に会えます。 この簡素な像は、大抵のガイド ブックには「キャプテンクック」と紹介されています。 私が、1997年に初めてギズボーンにドッグフードの工場検査の為に来た際にも、その工場のマーケ ティングマネージャーは、港の脇の丘に登り、この銅像をキャプテンクックの像として紹介してくれました。 

この銅像の手前には、こんな銘板が建てられています。


「ニュージーランドはここより始まりました。 ジェームズ・クック率いるエンデバー号の英国科学調査隊は英国より航海を続け、1769年10月7日午後2 時、エンデバー号のマストの上で見張りに付いていたニコラス・ヤングが陸地を認めました。 クックはそれを記念してその岬一体をヤングニックス岬と名づけ ました。

2日後、クックと部下達は、この像のある丘のふもとの海岸に上陸しました。 そして3日にわたり地元のマオリ族と偶発的戦闘があり死者が出ました。 クッ クは、良い関係が築けなかったことを大変遺憾に感じました。 補給も出来ませんでしたのでクックは、当地をポバティーベイ(貧困湾)と名づけました。

その後半年にわたり、クックはNZを精査し精密な海図を残し、この国を世界地図に載せました。」

そして、一方、銅像の基台にはこんな銘板が付いています。


「この銅像はジェームズ・クックがポバティーベイに、最初のヨーロッパ人として上陸してから200年になったのを記念して建てられました。 これは銅像 で、原型はオークランドのキャプテンクック酒造のオーナーであったモス・デービスが19世紀末にイタリアで買ってきた大理石像でした。

この銅像は2つあり、ひとつがここ、もうひとつはオークランドのカイバーパス醸造所におかれました。 多くの、「制服が違う」とか、「顔が似てない」という苦情はその際無視されました。

1969年10月以来、この像は多くの写真家や観光客、歴史学者の興味をひきつけておりました。が。」 「で、これはダレ? 俺たちゃ見当もつかない」


そこで、真っ当な歴史的考証を経て建てられたのが新しいクック像です。

キャプテンクック像 ギズボーン

新しいクック像

ヤングニックの像と、勤め先のお客さん

先ほどの銅像の丘と川を挟んで対岸、ギズボーン港の近くに、この像は立っています。  うしろにヤングニックスヘッドが見えて、なかなかよろしいロケーションで、そばにヤングニックの像もたっています。 

この、新しい方のクック像、背景はこの様に素晴らしいのですが、これをちょっと左に視線をずらすと。。。。

あまり旅情をかき立てられない場所に立ってます。

この倉庫のあたりにクックは上陸したのでした。

 

今、その倉庫の裏には、「英国連邦海軍一同」が建立した記念碑が建っています。

キャプテンクックも、まさか自分が上陸した同じ場所から日本へかぼちゃや材木が、輸出されるとは思いもしなかったでしょうね。

旧クック像の立っている丘の名前はカイティヒル。 ここには、要塞の跡があります。 日本軍が攻めてくるかもしれないので作ったというこの手の要塞は、ZLのそこいらじゅうにあるようです。 基礎がしっかりしているので今は天体観測ドームが乗っています。
(そういえば、クックのZL訪問の理由のひとつが水星観測でした。 北島北部にはマーキュリーベイと云う場所がありまして、そこで観測したそうです。)
その、要塞跡からポバティー湾、ヤングニックス岬を望むと海に濃淡が見えます。 


ポヴァティーベイ

これは日本の材木運搬船が捨てていった廃油 ではなくて、hi
雲の影なんです。 湾は浅くて、砂が白いので、この様な光景見えます。  イタリアの青の洞窟と同じ理屈。


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