話の種

日本人とは?

外国ボケの日本人

私の友人の何人かは、昔、帰国子女だったおじさんおばさんです。 また、現役で海外で子供を育てている友人もいます。 その人たちから聞いた、その人たちを見て感じた、日本で歓迎されるニホンジンの要件 ということについて、お話します。

法律の上では、両親が日本人なら、子供は日本人です。 日本国政府に帰化を許可された人も日本人です。 親の片方が日本人なら成人するときに日本人になるかどうか選べます。 
ただし、今 言ったのは国籍という面から見た日本人です。
日本国籍があれば日本人か? というと、絶対にそうではない。 一般的に、日本の人々が、ある特定の人を「この人は確かに日本人である」と認めるには別の判断が働きます。 

つまり 「この人は、我々日本人と似通った価値観を共有してくれるか?」 というのが大事なところです。 なぜ、こういう評価基準になったかというと、そもそも大和民族というものが、実にあいまいな代物だからです。 考古学者が言うように、日本には北方系南方系の人が混ざっています。 その混り方が、地方 地方でことなるので、遺伝的に、民族的に「これが日本人です」というのは、大変難しい。 
ま、イギリスも、フランスやデンマークが混ざっていますから、訳分からんのですが、特に日本人はこれがややこしい。

つまり、考古学的先祖がごちゃ混ぜの日本人が、どうやって、ひとつのまとまった日本人グループとして成立させられるかというと、これは「価値観が似ている」とか「共通の価値観を分かち合える」としか言いようが無いような気がします。 ある意味「アメリカ人とは何か?」と言う設問と、答えに似ている。 ア メリカ人もあれだけごちゃ混ぜだけれども、アメリカ人の共通項の価値観を持っているように見えます(その価値観に好き嫌いはありますがhi)。

で、日本人としての価値観はどのような環境で作られるかと言えば。 

日本人は日本人社会で作られます。


大多数の日本の文化が人口密度の高い、密集集団での活動を基礎として発達してきました。 悪く言えば村社会ですが。 ま、そのムラと呼ばれる小集団の中で育つことで社会との接し方を学びながら日本人は大きくなります。 
その社会との接し方の中で、特に道具として重要なものはあたりまえですが「言語能力」です。

この日本語は、社会集団での状況によって、微妙にかつ厳然と変化する言い回しがあるがために、習得が非常に難しい言語になっています。 おまけに言外に匂わすなどと言う高等テクニックもありまして(笑)。 
そして、それが確実にできる人が、お互いを「大人の日本人」として認めあいます。 
砕けた言い方で言えば、要するに、

察して、立てて、持ち上げて

という訳です。

かくして、「日本人の価値観で、日本人の感情の機微がわかる人が日本人である」 という、実にあいまいな判断基準が、「ある人」を日本人と認めるか否かの評価基準になります。
この他にも、遺伝的形質による特徴的思考回路について 等のいろいろな要素がありますが、ここでは一般生活に根ざした良い例があるのでそれを示します。 

流暢な英語が話せ、かつ「日本語も母国語だから上手に話せるだろう」と、帰国子女を大量に採用した某外資系銀行があります。 その銀行は、100万円以上預金があれば、いろいろなサービスが無料と言うシステムがありまして、インターネットだけで、取引している人には、安くて便利な銀行です 国外送金の安さ も魅力ですので、外国で生活したり、複数の国に分かれてすんでいる家族には便利です。

ところが、直接、銀行へ電話したり訪問したりするお客さんたちの、その銀行への評価は最悪です。 
その原因は、その銀行にはバナナと呼ばれる「失敗した帰国子女」が山ほどいたからです。

たいていの日本に住んでいる日本人は、ま、皆さんのような人々ですが。 わざわざ外国に出稼ぎに行かなくても日本国内で暮らせる才能とチャンスの有る人々ですから、外国の論理とは無縁でも、まったく実害のない人々です。 
よく、「アメリカではー」とか、「ヨーロッパではー」 などと話す人が言いますが、私からすれば、「日本で暮らしているのに、なぜ、アメリカの理屈で生活しなきゃいかんのだぁ? あんた、おかしいんじゃないの?」です。
皆さんは、気兼ねなく日本人の論理を振り回して、突き進んで生活できる、私からすれば羨ましいような人たちです。 
(自分の理屈だけで突進できる「大阪のおばちゃん」には、羨ましいをこえて外国人を感じますがhi)

さて、そういう普通の日本人が、その外資系銀行へ行くと、不愉快な気持ちが一杯溜まるのです。 それは、多くの行員が日本人としての会話ができないからです。  この場合、会話という言葉は、態度やしぐさ、声の強弱、間会い、表情、論理の展開形式、すべてを含めますが、それらの総合的会話のやり取りが、そ の銀行の窓口の若い子達はできなかったわけです。 

そうです。 判りましたね。 先ほど、日本人とは、日本人があるべき姿を、行儀作法や、会話の方法や物事の説明のしかたなどの中に、共通の価値観をもつことができる人の集まり と説明しましたが、まさに、このことなのです。

その銀行のお客さんたちは、その外国帰りの若者たちを、日本人の基本ができていない人とみなしたのです。
日本人の基本ができていない人が日本の社会で怒りを買うなら、日本で働く外国人はどうなの?と思いますよね。 外人は、それができなくてもOKです。 

日本人は、野蛮人が日本の麗しい文化が理解できなくても当たり前だと思っていますから、あまり外国人に期待していません。 期待していないから、期待を裏切ることも無いわけです。 しかし日本人に見えるひとが、日本人らしく振舞えないと受けての印象は最悪です。 人間失格くらいに思われます。

二十代半ばまでかかる人間のコミュニケーション能力育成

ところで  日本人に限らず、人間の会話などのコミュニケーション能力が成熟するのにどれくらい掛かるか、皆さんご存知でしょうか?  NHKの言語番組で習ったのですが、人間の総合的会話能力、コミュニケーション能力は、完成するまでに25歳まで掛かるそうです(放送局の科学報道は、科学を理解していな い人が作っている場合が多々あるので、正確かどうかは知りませんがhi)。 

さらに、日本語を難しくしている最大理由である、丁寧語、謙譲語、尊敬語などの言葉ですが、これらの習得は、実社会に出ないとどうにもなりません。  それらの高等技術を身につけて、かつ、それを使って、その場の雰囲気を読み、間を読み、適切な言葉遣いと、適切な日本的論理展開などが渾然一体となった物 が、日本語のコミュニケーション能力と呼ばれるものなのです。

学生レベルで覚えられるのは、よっぽど運が良くて丁寧語の使い方が精一杯。 
二十代半ばというと、大学や大学院修士課程を出て、社会に出て数年と言うことになります。 そこまでの期間に、どれだけ濃密かつ上質な日本語環境に居たかが、その後の日本人としての人格を作り上げるのでしょう。 
いいかえれば、「高校卒業後外国の大学へ行きました。」 「大学卒業後外国の大学院へ行きました。」 「大学終了後世界漫遊していました。」 と言う人たちは、外国ボケが激しくて日本で仕事をすると「本人は大変、周囲は不幸」という事になりかねない。 実際、山ほどこういうケースを見てきています。

私の友人でお父上が外交官だったお嬢様が居ます。 そのお父上は、周りの外交官や、駐在商社員の子供たちを見て、決断されたのでしょうか、「我が子が日本人でなくなる」と中学校入る前に娘を本国送還、日本に居るおばあさんに、この彼女を預けたそうです。
おかげで、この30代の素敵な女性は、服をかけるハンガーを衣文掛け(えもんかけ)と呼ぶ、立派な日本人になりました。 もし彼女が日本へ帰らず外国で生活し続けていたら、、、氷漬けの小学生が出来上がっていたでしょう。
また、逆のパターンで、「もう日本人としては手遅れだから、うちの子供たちはZL人として育ってもらうよ」と達観しているお父さんもいます。 


氷漬けの日本人

南米移民一世を代表として、この他にも若くして国際結婚で外国へ出て行った人など、多くの日本人が明治以来外国へ出て行きました。
40代以上の、その人々の中には、かなりの高い率の割合で美しい日本語をお話になる方がおられます(40代未満でも、居るには居ますが激減します)。 
「それはそれは美しゅうございます」とか「さむうございますので、厚手のお召し物を」とか「皆様ご機嫌よろしゅう」 とか、、、が日常会話で出てきます。
私の伯母は87歳、当然の様に大東亜戦争前に女学校を出ております。 今でもその女学校は、お嬢さん学校ですが、その当時は、まさに本物のお嬢様がたくさんおられたそうです。 その仲の同級生で、才色兼備の英語に堪能なお嬢さんが戦後GHQの将校とキリスト教会で恋仲になり、アメリカへ渡ったそうです。  そのお友達が何年か前、これが最後の日本旅行というので帰ってこられたそうです。

そのときに、その方が話していた言葉が、さきほどの美しい日本語です。同窓会から帰ってきた伯母は「私たちも昔あんな綺麗な言葉を話していたんだねぇ!」 と、興奮して話してくれました。 


まったく、話題は外れますが「私、お芝居を見に行ってよ」とか「お花を習っていてよ」とかいうこの 「てよ」言葉は、本物のお嬢さんはつかわなかったそうです。 
「てよ」 言葉は東京の花柳界の言葉で、「良家の子女がとんでもない」 と言われたそうです。


さて、このように「美しい日本語の氷漬け」は、日本での実生活に使えるかどうかは置いておいて悪いものではありません。 
日本の社会を離れると、凍りつくのは日本語だけではありません。 
仕草、態度、なども凍りつきます。  伯母の同級生の元お嬢様は、一応「日本人」としての自己が出来上がってから米国へ出ましたが、やはり30歳で凍りついています。  当時の教育のあるご婦人の立ち居振る舞いは、三十代も六十代も大きな差がありませんでしたから、30歳で凍りついた元お嬢様の立ち居振る 舞い会話の方法も、日本の同級生たちに悪い印象無く迎えられたのでしょう。

しかし、変化の速度の強烈な現代に生きる人々は、こうは行きません。 
小学校低学年で外国へ出た知人のお子さんたちですが、見事に凍っています。 高校生になって、現地語では高校生らしい立ち居振る舞いですが、日本語で話すと小学生なのです。 
同様に中学在学中に留学して現在大学生の青年は、日本語の環境で生活させると中学生のまま。
福原愛という卓球の選手がいますが10代前半で中国大陸へ卓球留学してしまったので、二十歳になっても話の仕方は小学生なのは皆さんにわかりやすい例です。

子供ばかりではありません。 大学卒業後、欧州へ留学し、そのまま就職して日本へ帰ってきた人は30過ぎているのに、日本人としては大学生のまま。 

そうです。 日本人は日本の社会から離れたら「日本人としての言語並びにコミュニケーション能力の成長」が停止してしまうのです。  これは、十代以下の若年層では著しく、親が「日本語の文芸と縁が無い」、もしくはもっと端的に「教育に不熱心」な家庭では、まさに致命的になります。
私やXYLも、こういう惨憺たる例を見てきていますので、こうならないよう意識して気をつけていますが、日本へ帰った際に、私と会うお客さんや、学生時代の友人たちは、私の時間が30代後半で止まってしまったように見ているかもしれません。

そうならないように、私はせっせとHFでJAの皆さんと日本語を話し、JAからお取引先が訪問されたら、自宅にお招きしてXYLが正しい日本語を使う機会を設けているのです。

涙ぐましい努力でしょ。 そうしないと、「美しい日本人」でなくなるからです。


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