越前朝倉氏一乗谷遺跡
関東地方の人間にとって元亀天正のころの大河ドラマは、地理がわかるのが尾張美濃三河駿河くらいで近江越前となると、「どこに誰が居
たって?」という感覚があります。
JA4,JA6の皆さんが会津が何処だか見当もつかないというのと同じでしょう。
PGJにとっても越前朝倉氏一乗谷遺跡は「行って見たいが、さてそれは何県にあるの?」というくらい認知の低い存在でした。
中世の非常に貴重な遺跡であるというのは知っていたのですよ!
で、その一乗谷に2008年秋に行ってきました。
海に遠い
のでまず「へぇ」もっと海に近いと思っていました。
なにしろ街そのもの一式の遺跡ですから、全部見ようとしたら大変な歩きでが有ります。 右の地図をクリックすると詳しい地
図に飛びますから、その広大さに呆れてください。
発掘作業もon goingでいつになったら終わるのかというくらい。
まずは朝倉氏館跡から。
朝倉氏館跡は門ばかり唐風で目立っています。 これは朝倉氏滅亡後秀吉が立てた
とか。
このページの背景はこの門を内側から撮ったものです。
なんとも風情があって良い景色です。 土塁、堀、生垣。 美しい。
左; 裏山の庭園跡から見下ろした館の礎石群。
これで堀の内側の2/3が写っています。
下左: 館背後の庭園跡
下右: 裏山中腹の庭園跡
麗しい文化の香りがするではありませんか。
裏山に登ればその他城郭跡も見ることが出来ますが夕暮れ間近でそれは断念。
復元城下町
発想は悪くないのですが。。。
復元城下町は建築以来整備というものをしていないのではないか?
というくらいボロボロです。
たいした城下だったのは分かりますが、ゴーストタウンですな。
役所がぼったてて、あとはそのまんま という感じです。
なにしろ近隣に人が住んでいないので、ボランティアによる整備も期待できないのかもね。
来年陛下がお出ましになるはずですが、まさかこんなボロボロには
ご案内しないでしょうなぁ。