二条城(京都市)
急に二条城に行きたくなって出かけてきました。
大河ドラマなどで散々出てくる二条城。どれくらい公方様の御威光が輝いているのか見てみたかったというわけです。
江戸幕府の公方様とはいえ、生粋の関東人ではなく、権現様は「三河の願人坊主の成れの果て」らしいですが、基本的に江戸/東京は多国籍文化の集積地なので、そんなものでも我が同士として迎えてしまうのです hi。
なにしろ、関東の英雄で関東出身者は……まず無い。
家康は三河からの流れ者。北条早雲は伊勢あるいは京からの流れ者らしい。平将門は京の貴族に縁の有る流転者。源頼朝は京から流された不良少年。
東国出身の英雄といったら東北のアテルイくらいなもんです。
そこは関東人の優しさで、だれでも「自称東京人」を迎え入れてしまいます hi。
すこしでも関東に縁があれば「仲間」としてしまうところがあるように思います。というわけで、「おらが公方様」が京都におったてた二条城さぁ見てみんべぇ、とやってきたわけですが。お見事ですねぇ。
お堀端の大手の脇で入場券を買い、同僚との世間話に余念のない門衛に気分を害されながら進んでいくと、皆一様に「おーー」と声を上げるのがこの唐門(からもん)です。
皆がカメラを構えるらしく「ここで集合写真を撮るんじゃねぇ渋滞するでねぇか」と書いてあります。
建物内は撮影禁止ですし、華やかな写真を撮ろうと思うと二条城はここしかない訳でして、皆でカメラを構えてベストショットを撮ろうとする訳です。
門をくぐって上を見上げれば、江戸期の「これでもかっ!」という建築意匠がどーんと付いております。二の丸御殿のなかには、奥行き50センチを越える欄間がありまして、当時の建具屋さんに手間賃いくら払ったんだろう?と、そちらの方にも興味がわきます。
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二の丸御殿 唐門
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唐門を抜ければ二の丸御殿
二の丸御殿 と 鴬張りの秘密
車寄せ(玄関)
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皆、吸い込まれるように車寄せ(玄関)へ。
修復が終わったばかりと思われるピカピカ金具は観光客の心を鷲掴みです。
で、入ると中は煤けた障壁画ばかりで、いったい何がありがたいのか西洋人には分かるまいと言う展示が続きます。
大政奉還を徳川慶喜が宣言した大広間もありますが、いまどきのゆとり教育の子供たちには大政奉還なんてわからんだろうしねぇ。
ともかく建物内は撮影禁止。
(※公式案内はこちら)
昔の御殿の暗さは良く分かりました。こんな薄暗いところで暮らしていれば、さぞ色も白かったろうね、御女中様方。
さて廊下をめぐって800m歩くと元の車寄せへ戻ってきます。
廊下は鴬張り(うぐいすばり)で、歩けばキコキコ鳴ります。暗殺者が忍び込んでも分かるようにという工夫です。
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鴬張りの廊下を土台のほうから見るとこんな感じです。
廊下の板を金具で浮かせ、人が乗ると目かすがいと釘が擦れ合って軋み音が鳴る仕組み。考えた棟梁は今なら発明大賞物です。
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二の丸御殿の広さはとてつもなく、下の写真は全て表側。つまり外観だけでも、この倍あるわけです。さすが公方様じゃ。
これだけ豪壮だと維持費もかなりの物でしょう。
1939年に宮内省が京都市に「御下賜」したのは、ある意味投げ出したのではないかと思いますが、無理もないところです。
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二の丸庭園。見事ですね。暴れん坊将軍でも立たせてみたいものです
本丸御殿 と 軍事拠点としての石垣
堀を越え、桝形(ますがた)の有る門を抜けるとそこは本丸。
本丸への桝形門
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本丸御殿
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その昔は天守閣も有ったという軍事拠点の中に、なんとも典雅な建物が建っております。
例年は春秋だけ公開していたそうですが、「ただいま修理中」ですので中は見ることは出来ません。
彦根の井伊様の御殿を見るにつけても、デンマークのイーエスコウ城を見ても、昔の殿様の私的空間って意外と狭いですね。
征夷大将軍の離宮としてみるときに、「こんなもんだったのねぇ」感があります。典雅だけども、意外と質素。
まぁ、この家を今建てたらウン億なんでしょうけどもさ。
建物に大盤振る舞いしていたわけでもないのに(ドイツにはお城を建てまくって国家会計転覆しそうになり暗殺された馬鹿殿様もいるけど)、徳川幕府は赤字で倒産するわけですから、如何に当時の従業員が仕事しなかったかという証なんですかね。ま、それは現代も同じですが。
本来軍事拠点だった二条城の堀石垣
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豪壮な石垣の組み方
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天守台からみた本丸の様子。「御立派」
二条城 公式サイトはこちら |
Googleマップはこちら
ともかく広くて、歩き疲れる二条城です。9月に行きましたが、まぁ……暑いの何の! 本当に京都は春秋ですね。
この二条城の難点は、トイレがひどい。臭い、目に沁みる。これは要改良ですね。あと英語が不自由な職員が多すぎというのも、なんですねぇ。
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