戦艦大和の最後」(吉田満 著)を読んだのは20世紀末の頃だったか?
また、阿川弘之の海軍シリーズは吉村昭のものと同様、私の愛読書で。
本当に昔の若い者は偉かった。。。。
私の中学時代はその生き残りの海軍士官が英語の先生でした。 立ち姿が美しかった目黒正八先生。
そんなPGJが呉に大和の1/10模型ができたとNHKワールドTVで見たときは驚いたの興奮したのなんの。
2005年に日本へ来たときにJRパスを握り締めて出かけましたともさ。 種を明かせばメインは職探しツアーであったのだけどね。 JRパス握って、東京 から九州まで観光しながらの面接だったhi。
さてさて、
JRの呉線(と言うのか?あの単線)の呉で降りますと「大和ミュージアムあっち」と、看板がこれでもかと立っているのですぐに分かります。徒歩5分。
詳しい行きかたはこちらを見ていただくとして。
博物館に入って数歩進むと、こういう光景にあなたは度肝を抜かれます。
ともかく大きくて、ニコンのD70と28mmレンズでは全体像が撮影できなかった2005年。
ですので、これは携帯電話のカメラで撮ったものです。
とーもかく大きい。
D70と28mmレンズの組み合わせでは目一杯引いても艦首が切れます。
とりあえず、周りにへばりついて、あきれ返っている入場者と大きさを比べていただければ、どれだけ大きいか分かっていただけるでしょう。
超弩級戦艦だけ あります。
超弩級とは弩級を超えたサイズだから超弩級。 弩級と言うのはドレットノート(HMS Dreadnought)という20世紀初頭の大英帝国海軍の戦艦のサイズを表現する言葉で、ドレッドノートの頭文字を漢字にした日本的表現です。
弩級戦艦は、その頃の標準的戦艦(たとえば帝国海軍軍艦三笠をいきなり陳腐化させてしまった新兵器でしたが、超弩級 は、それをまた凌ぐというわけです。 ま、こんな知識はアラカン以上の元少年には当たり前の知識だけど。 念のためhi
ネタ
この模型の艦体部分は本物同様造船所で鋼鉄により製造されたそうです。 甲板のチーク材は1枚1枚手張り。
と言うわけで製造コストはウン億円。
地元の中堅造船所の寄付だそうです。 たいしたものですねぇ。
甲板から上の擬装もすべて金属で作ろうとしたけど、建物が重さに耐えられないので、上部はプラスチックモデルだそうです。
あんまり大きいので全体像を撮ろうとするとアングルはきわめて限定されま す。
そして、どこから撮影しても艦首が切れてしまいました。
2005年当時、私はD70に28-105mmしかもっていなかったので、「こうなったらしかたがない、作り込んだディテールをアップで撮影しましょう」と割り切ることにしました。
この周囲の3枚の写真は艦橋周辺の対空砲群です。
これだけ対空砲火火器を備えてもVT信管の無い悲しさよ。
米国機動部隊の艦載機にタコ殴りになってしまったわけです。
VT信管と言うのはこっち。
こうしてみると確かに対空槍ぶすまのように見えますが、ウンカのように押し寄せる雷撃機に十分な数だったのか
と言うと、、、、
足りなかったのでしょうね。
上写真の黄色い枠は艦橋頂上の大電探。
つまりはレーダーですが、当時の日本の電子工学産業のレベルの低さを物語って下の写真のように
双眼鏡でにらめっこのほうが索敵は早かったらしい。
しかし、あの大電力をもろに浴びながら双眼鏡を覗いていた人は、たとえ生き残っても目や脳に障害が出たろうなぁ。