デンマーク国有鉄道 DSB
ユラン(Jyland)半島のグランステ(Grindsted)に居たころ(1989)は鉄道が無くて駅舎のみが残るバスターミナルが鉄道の痕跡を示して
いました。
しかし、オーデンセにいた1993、1994年は、鉄道を堪能しました。
今は知りませんが、当時はデンマークの鉄道はまさに「国鉄」でした。 だから紋章も王冠と動輪と羽でした。
と言うわけでデンマークの鉄道の写真を並べてみました。 DSBの機関車の写真集はこちら
ニューポー(NYBORG)操車場
20世紀、コペンハーゲンのあるシェラン島とオーデンセのあるフュン島の間のストアベルト(大海峡と言う意味)には橋が無く、フェリーで渡るしかありませ んでした。 と言うわけでヨーロッパ大陸からつながっている線路はフュン島の東のはずれニューポーまで来るとそこでおしまい。 (フュン島とユラン半島はリルベルト(小海峡)の橋でつながっていました) このためにここには大きな操車場がありました。 今は海峡は橋と海底トンネルで繋がってしまいましたし、鉄道は町を離れたところを通るようになりました。 青函トンネルができた後の青森駅状態。 というわけで寂れたろうなぁ。 町の近況はこちらで見ることができます。ただしデンマーク語。。 |
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この転車台は現役でした。 |
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ニューポーには駅が二つありました。 町の中にあったニューポー駅と、 左写真のIC3型インターシティーが向かっている先の波止場に 隣接したニューポー港駅。 ニューポー操車場の両端に両駅があった格好です。 写真は両駅の真ん中の陸橋から撮ったもの。 |
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右の奥に写っているのがフェリー。 |
操車場には欠かせない入れ替え用ディーゼル機関車。 操車用機関車って世界中、形は一緒ですね。 |
ストアベルトのフェリー
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こちらがストアベルトを航行中の「フレデリク皇太子」号 ちなみにこの海峡は100年前の日露戦争でバルチック艦隊の皆さんが 「日本の水雷艇に襲われたら大変だ」と戦々恐々だったところでもあります。 広いけど浅いので艦隊の運動は制限されたのでした。 こういう行きかう船を眺めながらデンマーク人はカフェで喰う喰う喰う。そして飲む。 と言うわけでフェリーのカフェの充実振りは素晴らしいものでした。 そのカフェの写真が無いんだなぁ、、、 荷物を放り出してカフェへ出かけてしまうのに泥棒が少ない良い時代でありました。 |
接岸するこんな手前から船首ゲートを上げています。 いいのかねぇ? 接岸する際は船ごと楔形に切れ込んだ桟橋へ楔を打つように体当たりです。 レール位置を正確に接岸しなくてはならない鉄道フェリーゆえですね。 |
ストアベルトのシェラン島側の港駅はコルソー(Korsφr日本人には正確な発音不可能) の桟橋プラットホーム。 手前に並んでいるのがバンパーでここにあの巨体を押し付けて接岸します。 93年当時電化されていたのはコペンハーゲンからここまで。 このV字型の隙間に船体をドカンとはめ込む接岸方法は大陸的と言うか。。 |
正面からフェリー岸壁を見たところ (C)Jens Baier Naundrup-Jensen 1994 |
インターシティーは接岸と同時に走り出して操車場で再連結させました。 IC3は自動連結器だからあっという間に連結して行ってしまいます。 日本では当たり前の自動連結器も欧州大陸ではまだ少数派。 |
各駅停車の乗客は船から降りるとこうして接続便が待っています。 コペンハーゲンに行くのに一度だけ各駅停車を使いましたが、、、 一度乗れば十分。。。 ちなみに連結器は締め上げ式。 |
建設中のストアベルト大橋 1時間の船旅の海峡は、いまや10分ほどで渡れてしまいます。 |
9両編成のIC3型インターシティー。 3両で一単位になっています。
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駅舎
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ヨーロッパ鉄道旅行に不
可欠なものはユーレイルパスとトーマスクック時刻表。 当時のユーレイルパス
は、午後7時以降に使用を開始すると、翌日の24時までを デンマーク、スウェーデ
ンなど北欧だけの鉄道を堪能したい方には |