1984年(昭和59年)にNHKが放送した「炎熱商人」というドラマがあります。
緒形拳、松平健、中条きよし、市原悦子、勝野洋、梶芽衣子、藤岡琢也、佐藤慶、高峰三枝子。
今から考えると、「よくこれだけ集めたな」という出演陣。
原作は深田祐介。脚本は大野靖子。音楽は池辺晋一郎(この人のドラマ曲は好きだな)。
NHK大阪放送局制作で、前後編合わせて約178分。 ほぼ3時間です。
原作「炎熱商人」は第87回直木賞受賞。 NHK版も第39回文化庁芸術祭優秀賞、第22回ギャラクシー賞選奨。賞だらけです。
で。
この話、単なる商社マンのフィクションではありません。1971年(昭和46年)にフィリピンのマニラで実際に起きた、日本人商社員殺傷事件が下敷きになっています。
NHKの資料にも、「1971年、マニラで起きた日本人商社員の受難事件をヒントに」とあります。
「受難事件」。なんとも穏当な表現ですが、実際には人が殺されています。 そして、この事件で犠牲になった方のご家族は親しい友人のご近所さんでした。
なので、ちょっと調べてみました。
1971年11月21日
事件が起きたのは1971年11月21日。場所はフィリピン、マニラ首都圏のマカティ。襲われたのは住友商事マニラ支店長ら日本人商社員でした。現在確認できる複数の後年資料を突き合わせると、支店長が射殺され、同行していた社員も負傷したことまでは確認できます。 襲撃者がフィリピン人3人組だったとか、ライフル銃を乱射したという記述もあります。
が。 このあたりになると、現在Webで簡単に読めるものは後年に書かれた資料が多い。1971年当時のフィリピン警察の捜査記録や裁判記録、事件翌日の新聞記事まで全部確認できているわけではありません。
ですから、「犯人は誰で、この武器を使い、これが動機だった」とまでは今のところ断定しません。
50年以上前の事件をWeb検索して、いくつか同じことが書いてあったから「史実です」というのは危ないのです。
なんで商社マンが殺された?
ここから「炎熱商人」の話につながります。当時の日本は高度経済成長の真っ最中。家を建てる。合板を作る。家具を作る。木が要る。日本はフィリピンから大量のラワン材を輸入していました。 フィリピン側から見ると、日本は巨大なお客さんです。巨大なお客さんというのは、たくさん買ってくれる間はありがたい。ところが、その巨大なお客さんが突然、
「来月から安くしろ」
と言い始めると、これほど怖い相手もありません。1971年にはニクソン・ショックが起きました。日本経済にも変調が出る。木材市況も悪化する。そこで日本側からフィリピンの木材会社へ、買付価格引下げの圧力がかかります。
後年の商社関係者の回想では、この木材買付価格の引下げによって現地で恨みを買ったことが、住友商事マニラ支店長殺害の背景だった、とされています。
なるほど。では、「木材を値切ったので支店長が殺された」のか? 話はそんなに簡単ではありません。
値下げの向こうには人間がいる
東京の本社から見れば、「市況が下がったんだから仕入価格も下げろ」です。経営としては別に不思議ではありません。仕入れ担当なら普通にやる仕事です。ところがフィリピンの山の中から見ると話が違う。木を切る人がいる。運ぶ人がいる。トラックの運転手がいる。港で積む人がいる。船に載せる人がいる。日本の商社が買わなくなると、この人たちの仕事がなくなります。今日の日当で今日の飯を食っている人に、「世界的な市況悪化に伴い、弊社といたしましても調達価格の見直しを……」
なんて説明しても知ったこっちゃありません。
仕事がなければ飯が食えない。子供が病気でも医者へ連れて行けない。東京では数字を見て、「あと5ドル下げろ」と言っている。その5ドルの向こう側で生活が破綻する人がいる。
これが「炎熱商人」の重要なところです。
ただし、小説と史実は別
原作では、この因果関係がかなり具体的に描かれます。本社が値下げを要求する。現地の木材会社が困る。配船が止まる。労働者が仕事を失う。家族まで犠牲になる。日本人に対する恨みが生まれる。
そして小寺支店長が殺される。実によく出来た話です。
だから直木賞なんでしょう。
が。
「よく出来た話」と「警察の捜査で判明した事実」は別です。実際の1971年の事件にも、木材取引をめぐる怨恨が背景にあったとする後年の証言はあります。しかし、小説に出てくる個々の人物や、誰が誰を利用して殺害に至らせた、といった部分まで史実だったとはどこにもでてきません。
深田祐介は新聞記者として事件記録を書いたのではなく、小説を書いたのです。
ところが、殺された支店長は「悪徳商社マン」ではなかった
ここが、この事件の一番不思議なところです。普通なら、日本企業がフィリピンの資源を買い叩いた。
↓
現地の人が怒った。
↓
商社マンが殺された。
という話になりそうです。ところが、実在した支店長は、むしろフィリピン人との関係を非常に大切にする人物だったとされています。後年のフィリピン住友商事社長も、「炎熱商人」のモデルが十数代前の同社社長だったことを明言しています。
現地スタッフのところへ自分から話をしに行く。フィリピン人スタッフも日本人と同じように会議へ参加させる。
今風に言えばDiversity & Inclusionですな。そんな言葉が流行る半世紀前にやっていた。深田祐介も、この人物について、「日本人商社マンが皆狙われても、この人だけは狙われないだろう」と思えるほどの人物だった、という趣旨のことを書いています。
ところが、その人が殺された。だから深田祐介も考えたのでしょう。
「なんで?」
で、ドラマ「炎熱商人」は何を描いたのか
NHKが1984年に放送した「炎熱商人」は、この事件の再現ドラマではありません。
放送ライブラリーによれば、このドラマは、「企業要求と現地人とのはざまで苦悩する商社支店長」と、「戦時中軍本部と現地住民との板ばさみになった青年将校」という二人の日本人の生き方を重ね合わせた作品です。
つまり、「1971年11月21日に何が起きたか」を再現するのが目的ではない。「なぜ、こんなことになったのか?」を考えるドラマなのです。
緒形拳演じる小寺支店長
主人公の小寺は、マニラにある日本商社の支店長。この人が面白い。いわゆる昭和の猛烈商社マン、「売って売って売りまくれ!」という人物ではありません。
むしろ逆です。フィリピンで商売をする以上、フィリピン人から信用されなければ商売は続かない、と考えている。現地の人間を安い労働力とも考えていない。日本人だけで固まって仕事をするのでもない。日系二世のフランク佐藤らを通じて現地社会との関係を作り、日本人に対する印象そのものを変えようとします。
なぜそこまでやるのか?太平洋戦争です。
まだ戦後25年
物語の主要な舞台は1970年前後。終戦から約25年です。2026年から25年前というと2001年。ついこの間ですな。つまり当時のフィリピンには、日本軍の占領を実際に経験した人が普通に働いていた。日本軍に家を焼かれた人もいる。家族を殺された人もいる。そこへ今度は日本軍ではなく、日本企業が大挙してやって来た。銃ではなく札束を持って。
「戦争は終わりました。今度はビジネスです」と言われても、そんなに簡単に割り切れるものではないでしょう。小寺は、そこを分かっている。
商売は順調に行く
小寺たちが取り組むのがラワン材の取引。日本には木材が必要。フィリピンには木材がある。日本が買う。フィリピンは儲かる。日本も儲かる。Win-Win。という話なら簡単です。最初はうまく行く。小寺たちはフィリピン側との信頼関係を作りながら事業を拡大していきます。ここだけで終われば「プロジェクトX」です。ところが。経済というのは、そんなに都合よく出来ていない。
東京から電話が来る
日本経済が悪化する。木材市況が下がる。すると東京の本社は言います。もっと安く買え。まぁ、会社ですから当然です。市況が下がっているのに昨日と同じ値段で仕入れていたら、「マニラ支店は何をやっているんだ?」と言われます。東京から見れば数字の問題。しかしマニラから見ると人間の問題です。小寺には取引先の顔が見えている。そこで働いている人の顔も見えている。その家族もいる。無理に価格を下げれば会社が潰れる。仕事がなくなる。それでも本社は、「もっと下げろ」。海外駐在員には、たいへん馴染み深い話ですな。
現地から、「そんなことをしたら大変なことになります」と言う。すると本社は、「現地とよくコミュニケーションを取って進めてください」。魔法の言葉です。どうやって?とは誰も教えてくれない。
小寺は誰の社員なのか?
ここからドラマが俄然面白くなります。小寺は日本企業の社員です。ですから会社の利益を守る義務がある。ところが同時に、長年一緒に仕事をしてきたフィリピン人の生活も知っている。さて。どちらを取る?本社の要求を拒否して現地を守れば、日本の会社から見れば困った支店長。本社の言う通りにすれば、フィリピン側から見れば、「結局、日本人は自分たちの都合しか考えていない」となる。
逃げ道がありません。これが「炎熱商人」の一つ目の物語です。
ところが、もう一本の物語がある
「炎熱商人」が単なる企業ドラマで終わらないのはここです。ドラマは戦時中のフィリピンも描きます。そこに登場する日本軍の青年将校も、よく似た立場に置かれる。上から軍の命令が来る。しかし目の前にはフィリピンの住民がいる。命令通りにやれば住民が苦しむ。命令に逆らえば自分が軍人として処罰される。
戦争中は、
日本軍本部
↓
現地の日本軍人
↓
フィリピン人
戦後は、
東京の商社本社
↓
小寺支店長
↓
フィリピン人
もちろん軍による占領と民間企業の商取引は同じものではありません。ドラマも「日本企業=日本軍」と言っているわけではない。似ているのは、「遠く離れた日本の組織が決めたことを、現地で一人の日本人が実行しなければならない」という構造です。 山本七平が指摘した商社に生き残った帝国軍隊です。
善人なら問題は解決するのか?
ここが、このドラマの一番嫌なところ。良い意味で。小寺は悪人ではありません。むしろ、かなり立派な人です。フィリピン人を尊重する。現地社会を理解しようとする。本社とも喧嘩する。日本人が戦争中に何をしたかも忘れていない。だったらフィリピン人から好かれて、めでたしめでたし。にはならない。
小寺は最後に殺されます。普通のドラマなら、「善良な日本人が誤解されて殺された。可哀想」となりそうですが、「炎熱商人」はそんな簡単な話にしていません。小寺個人が良い人であること。日本軍がフィリピンで何をしたか。日本企業がフィリピン経済にどんな影響を与えているか。日本側の都合で木材の買付けを増やしたり減らしたりすること。
これは全部別問題なのです。フィリピン側から見れば、「小寺さんは良い人だから」だけでは飯は食えない。失業した人から見れば、目の前にいる日本人支店長が「日本」なのです。
「日本人」と「日本」は同じではない
これは今見ても面白いテーマです。
海外で仕事をすると、「自分個人」と、「会社」と、「日本」が、相手から見れば一緒になることがあります。
こちらは、「いや、それは本社が決めたことで、私は反対したんですよ」と言いたい。
でも相手には関係ない。あなたはその会社の人でしょう?あなたは日本人でしょう?となる。
小寺は、その矛盾を全部背負わされる人物です。だから、あれほどフィリピン人のために努力した人間が、最後にはフィリピン人から撃たれる。なんとも救いがない。
でも現実の1971年の事件でも、現地との関係を大切にしていたと言われる支店長が実際に殺された。深田祐介が引っ掛かったのも、おそらくここなのでしょう。
フランク佐藤
中条きよし演じるフランク佐藤も重要な人物です。日本とフィリピン。どちらか一方だけに立てない。日本人にはフィリピンの事情を説明する。フィリピン人には日本人の事情を説明する。通訳というのは言葉を訳すだけではありません。文化も感情も訳さなければならない。これが一番疲れる。しかも両方から、「お前はどっちの味方なんだ?」と言われる。
小寺とは違う意味で、二つの社会の間に挟まれた人物です。
緒形拳が凄い
そして、この面倒くさい小寺を緒形拳が演じています。これが上手い。小寺をヒーローにし過ぎない。正義感を振りかざして、「俺はフィリピン人のために戦う!」という芝居ではない。会社員です。本社の事情も分かる。現地の事情も分かる。自分が会社員であることも分かっている。だから困る。
この、「両方分かってしまう人間」を緒形拳が演じる。分からない人なら楽なんです。「本社命令だからやれ」で済む。
あるいは、「現地のために本社なんか無視する」でも済む。小寺は両方分かるから、どちらにも振り切れない。この辺の表情が実に緒形拳。
松平健も若い
松平健も出ています。暴れん坊将軍のイメージが強い人ですが、こちらでは若い商社マン。1984年ですから30歳。若い。当たり前ですが。小寺のように達観していない。会社の論理にも反発する。フィリピンの現実にもぶつかる。若い商社マンが、「海外で商売をするとは、こういうことなのか」と知っていく役割でもあります。
評価
NHK版「炎熱商人」は第39回文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
作品を見ると高く評価された理由は察しが付きます。 商社の木材取引という具体的な話から、企業倫理。国際ビジネス。日本とフィリピン。戦争責任。現地雇用。組織と個人。そして最後には、「人間として正しいことと、組織人として正しいことは同じなのか?」というところまで行ってしまう。
しかも、それを説教番組ではなくドラマとして約3時間見せる。なかなか大変です。

1984年にこれを作ったNHK
ここも面白い。放送は1984年。日本はこれからバブル経済へ向かいます。日本企業が世界中へ出ていく。日本製品は売れる。日本人は金持ちになる。「Japan as Number One」なんて言われた時代です。
その入口でNHKが作ったのが、「海外で活躍する日本企業は素晴らしい!」ではなく、「日本企業が海外で儲けるということは、現地の人にとって何を意味するのか?」というドラマ。
景気の良い時代に、ずいぶん景気の悪いテーマです。しかも最後に主人公を殺す。スポンサーの付いた民放では、なかなか作りにくかったでしょうな。
40年以上前なのに、あまり古くない
電話は固定電話。パソコンもメールもTeamsもない。東京本社と海外支店の距離も、今とは比較にならない。 テレックスがローマ字ですよ!
でも、ドラマのテーマは驚くほど古くありません。本社と現地法人。利益とCompliance。Global PolicyとLocal Requirement。本社が決めたKPI。現地では実行不能。
「Globalではこうなっています」「Japanでは無理です」はい。2026年でもやっています。
道具だけ進歩して、人間の組織はあまり進歩していないらしい。
私には、そこが一番面白い
「炎熱商人」は戦争ドラマでもあります。商社ドラマでもあります。日本とフィリピンの歴史を描いたドラマでもあります。実際の殺人事件を下敷きにした作品でもあります。でも私には、「組織の論理と、現場で実際に人間と付き合う人間の論理が衝突したとき、どうするのか?」というドラマに見えます。
東京の会議室では正しい。マニラでは正しくない。あるいは逆。どちらも間違っていないのに、結果として人が不幸になる。そういう問題はマニュアルには答えが書いてありません。小寺は、その答えを自分で探そうとした。そして殺された。実際の1971年の事件でも、現地との関係を大切にしていたと言われる住友商事の支店長が殺された。だから「炎熱商人」の結末は、単なる脚本家が作った悲劇ではない。
それで、もう一度1971年11月21日に戻る
ドラマを見終わると、結局ここへ戻ってきます。
1971年11月21日。実際には何があったのか?誰が撃ったのか。なぜ撃ったのか。本当に木材価格の引下げが原因だったのか。実在の支店長は、フィリピン人社員や取引先からどのように見られていたのか。犯人は捕まったのか。裁判では何が明らかになったのか。そして深田祐介は、その事件のどこまでを取材し、どこからを「炎熱商人」として創作したのか。
現在Web上で簡単に拾える資料だけでは、そこまでは分かりません。 流石に昔過ぎます。
ところで、他人事でもなかった
実は私自身も、その後ZLに駐在して、JAとZLの双方に利益になるように働いていた時期があります。もちろん1970年代のフィリピンと、私がいたZLでは時代も国も事情もまったく違います。殺されるような話でもありません。
が。「日本の本社」と「現地」の間に立つ、というところだけは妙に身につまされます。日本側の都合だけを振り回す。 NZの製造側を、どこか一段下に見ている。問題が起きるとNZ側は、「では原因は何で、どう直せばいいのか」とロジックで片付けようとする。一方、日本側は、「そんなことでは困る」「お客様がどう思うか」「気持ちの問題だ」となる。
もちろん全部がそうだったわけではありません。しかし、その間に入って、「日本側にはNZの事情を説明し、NZ側には日本の事情を説明する」ということを延々やっていると、なかなか疲れます。そのうち私は、日本人であることを誇らしく思うどころか、「なんとも美しくない日本人だなぁ」と思う場面が増えてしまいました。そして、とうとう呆れ返って辞めてしまいました。
「美しい日本人にならんといかんな」
考えてみれば、私はこの「炎熱商人」を学生時代に見ています。 ZL時代にもZYLとVHSで繰り返しみました。そのときに何を思ったか。細かい筋は忘れても、これは覚えています。「美しい日本人にならんといかんな」
と。ここで言う「美しい」は、行儀が良いとか、愛国心があるとか、そういう話ではありません。外国へ行ったときに、日本の会社の都合だけを振り回さない。相手を下に見ない。相手の国にも事情があり、生活があり、プライドがあることを忘れない。日本人同士なら通用する理屈が、外国でも当然通用するとは思わない。
それでも自分が日本人である以上、「あの日本人と仕事をして良かった」と思ってもらえるように振る舞う。
学生だったころ、また、在外日本人として仕事していた頃、私が小寺を見て「美しい」と感じたのは、そういうことだったのでしょう。
不思議な縁
しかも、このドラマにはもう一つ個人的な記憶があります。当時、同じアパートに住んでいた友人の親しい家族が、この1971年の事件の当事者でした。テレビの中の緒形拳が演じる小寺。その人物の向こう側に、実際に生きていた人がいる。
そして、その人をよく知る家族につながる人が自分のすぐ近くにいる。学生だった私にも、それはかなり強烈なことでした。だから「炎熱商人」は、単に昔見た名作ドラマというだけではありません。後になって自分が海外で働き、日本の論理と現地の論理の間に立ち、「日本人は外国でどう振る舞うべきなのか」を嫌というほど考えることになった。
振り返ってみると、その問いを最初に私の頭へ植え付けたのは、このドラマだったのかもしれません。40年以上経っても覚えている。そういうドラマをDVDで見ることが出きました。
やはり とても良いドラマでした。 夫婦でポロポロ涙を流しながら見ていました。
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