EPSON

仕事で。セイコーエプソン様へ行ってきました。 
ともかくわかりにくいセイコー系の会社の成り立ちですが、服部時計店に納める国産時計を作っていた諏訪の山崎さんが立ち上げたのが諏訪セイコー社。
服部時計店の後裔たるセイコーホールディングスとの現在の資本関係は「僅かなもんです」(中の人)、だそうです。 へー!
こちらの説明図がわかりやすでしょう
http://www.epson.jp/company/milestones.htm
現在も作った時計の殆どはセイコーブランドでセイコーウォッチ販売に納めているそうな。
ただし、ご説明によりますと、「弊社(セイコーエプソン塩尻)で作る腕時計は店頭価格20万円以上の製品です。30万円以上になるとほぼ手で組み上げています。 
一番高いのですか? 3,500万円ですね。」
びっくり。
流石に工程内は撮影禁止。
ですが、針の青焼き工程を見せてもらったり(電熱版の上で焼くんですね。炎ではない。)
彫刻室やらムーブメント組み上げデスクやら。 いやはや、時計とは人件費を買っているものだと。つくづく実感しました。
「その割には給料は高くない」とのご説明。 あれー?
おそるおそる「では、PGJ愛用のお安いセイコー5はどちらで製造されているので?」とお尋ねしますと「セイコーインスツルさんですね。 安い機械式はあちらさんです。」
セイコーインスツルさんには電子辞書で大変お世話になりましたが、同社が時計なんぞは超一部事業でしかなくなったのと同じで、セイコーエプソンと云えばプリンター。
    
こちらは東京オリンピックで採用された初の100分の1計時ストップウォッチに接続された、これまた初のデジタルプリンターだそうで。
(当然売ったのは服部さん、作ったのは現エプソン)
    
で、EPSONってアメリカのどこの資本よ?と思っていたのはPGJだけではないでしょう。
「この1号デジタルプリンターElectric Printer EP-101に子供(SON)がたくさんできて新しいビジネスになるといいね。」 という願いを込めてつけた名前だそうですEPSONエプソン
そんなダジャレだったとは。。。 笑
そんなダジャレで始まったビジネスも1兆円ビジネスの8割を支えているのですから大したものです。 富士フィルムの化粧品やデジカメへの転換にも通じる、生き残る企業の変わり身の速さを見た思いです。 いつまでも自動車作っていてもしょうがないよトヨタ自動車さん。なのかもね。
さて、諏訪精工舎が作った初の腕時計がマーベル 
http://www.epson.jp/ms/1956_6.htm
それまでの時計は「なんとなく部品を作って組んでいた」そうで、まともに設計された腕時計一号らしい。

この日は15mmレンズしか持っていかなかったのでアップがない。。。

スイスのクロノメーターコンクールで優秀賞をザクザク取った頃の製品。 あんまり日本のメーカーが勝つのでコンクール自体がなくなり、更にその後、日本製クォーツ腕時計でスイス時計産業は半殺しの目に合うのであうのは御存知の通り。


こちら、クォーツ腕時計の前の段階の置き時計。 表彰状はクロノメーター検定の証明書。
洋箪笥より大きかった水晶発信時計(下写真)をここまで小さくしたんだから立派なもんです。

大きさがわかりにくいですが両手で運べる程度の大きさです。
下は有象無象の時計を作っていた時代のサンプル。
円が安い頃は諏訪でもジャンク時計を作っていたそうです。


世界初 宇宙で使われたインクジェットプリンター。
キヤノンは熱昇華型プリントなのですが、エプソンは機械的にインキを飛ばすピエゾ式。
アポロ計画の人間BBQを振り返るまでもなく宇宙船で怖いのは火災です。 
何しろ逃げ場がない。
「熱でインキを飛ばす」という仕組みにNASAがナーバスになったのは
言うまでもないことでしょう。 でエプソンのピエゾ式が世界初の
宇宙空間インクジェットプリンターになったわけで。
現に安物のコンパチインクを使うとプリンターが発煙するそうです。 純正インクを使いましょう。 どこの会社のプリンターとどこの会社の安売りインクの組み合わせかは寡聞にしてしらず。

こちらはアイロンプリント用プリンター
向かって右のパターンが転写材に印刷したところ、中央が布に転写したところ、そして右がそれを縫製したもの。 へーですね。

この建物で時計を作っていた会社が、

世界有数の電子機器屋になったというお話でした。

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