富士山関連

昨日は庭に除草剤をまいて、生け垣の20平米分をトリミングして、とすっかり庭師さんでくたびれはてました。 要介護老人の面倒やらなにやらで夫婦でストレス溜まりまくりで、今日は「エイヤッ」の仕事をちょっとだけしてXYLと気分転換にでかけました。

まず、一人で朝一番に箱根をドライブした後、湯河原の温泉に浸かりマッサージしてもらい、回らない首と肩をほぐしてもらい。 マッサージ組合のおばちゃんの揉み療治は気持ちよかったけど、ぬるいせいか、お湯の温泉感は薄かった。 箱根山地はどこも温泉資源枯渇だからねぇ。
(ちなみに1%でも温泉井戸からの湯が入っていれば99%水道水でも合法的に「温泉」を標榜できます。 景品表示法的にどうよ?とは思うけどさ。 #ここの温泉がほぼ水道と言う訳ではないので誤解なきよう。)

一度自宅に戻り、昼ごはんはXYLと久しぶりの吉牛。 
で、この後、富士吉田(JCG17008J)の御師の屋敷を見に行こうということになり、行ってきました。 懸案の「御師」の屋敷。

富士山の御師についてはこちら https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%AC%9B
富士山信仰と云うやつですね。
東海道本線や中央本線ができるまでは講中からくじ引きで富士に登る人を選んで数人で江戸や下総から歩いてきたそうです。 これが鉄道が開業すると、講中全員で富士登山ができるようになったそうで、富士吉田の御師の宿は大変な賑わいだったそうです。
こちら団体さん

御師と講中のメンバーの関係はお寺と檀家のようなものだったそうで、他の講中に負けるなと寄進合戦だったそうです。
と云う寄進の数々

座敷まるまる寄進。by 浅草の講(鉄)

ここまで盛んだったものがいきなり廃れました。
前の東京オリンピックの際に富士スバルラインができ、五合目までバスで行けるようになりました。
それまでは御師の家に泊まり、翌朝早く富士吉田浅間大社から登りだし3合目で昼飯、7合目で日没、更に翌朝未明に登頂しご来光。 で火口と中腹とそれぞれ一周し下山で翌日も終わり。
だったものが今のようにバスで行って日帰りできるようになって御師宿はほぼ壊滅したそうです。

この大きな木版は、登山のときに着る白衣に押す仏像やら経文やらだそうです。
あの白衣は死んだら棺桶に入れてしまうので、ほぼ残らないのだそうです。 何百回も登った人の白衣は「ものすごい」ことになるのだそうですが、そういう人は間違いなく棺桶に入れて持っていってしまうから、「資料はほぼありません」そうです。 
こちらには1点だけありました。
こちら御札ですね。 


江戸時代中頃の建築だそうで。

だいたい20畳で40人寝かしたそうな。 布団なし。

立派なものでした。
ひさしぶりに好奇心と、興味を沸きたてられる良い展示と解説の「御師の家」でした。
http://oshinoie.client.jp/
この後は2つの富士浅間神社に行ったわけですが、それは次回。

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