松山市

道後温泉は松山市(JCC3801)だったのね。 認識していなかったのは汗顔の至り。
で、もう三つ。
1. 日露戦争の秋山兄弟の「松山」とはここだったか。
2. 夏目漱石の任地の「松山」とはここだったか。 そういえば温泉の団子は「道後温泉」のでしたなぁ。
3. 日露戦争でロシア兵たちに大人気の「Мацуямаマツヤマ」とはここだったか。

以前、部下に四国出身者がいたし大学の恩賜は愛媛の産だが、中四国は縁が薄くて。。。 
それもあって今回は瀬戸内地方を選んだのでした。 元々は九州天草へ行くつもりがXYLの「九州は飛行機に乗るのに羽田まで行くのがめんどくさい。」でボツ。 

で。 道後温泉のネタは次回に回して。 松山市街。 路面電車が走っています。 城跡が良いです。 
道後温泉の旅館にクルマを置いて路面電車ででかけます。

この駅はバスターミナルとしても機能していまして、蒸気機関車の転車台を転用したの? というような転車台でバスを回しています(上動画)。 
XYL「松山で最高の観光スポットは転車台」でしたとさ。 
ともあれ、電車に乗って松山市街へ。

大名物は松山城。 ロープウェイとリフトで登れるというおてがる登城を利用できます。 爺には良い。 

当時物のお城を維持するコストは大変で、松山市もよくやってると思う。

維持費なんてものを考えたこともないバカ王様が ここに。 「はぁ?」 「まえが見えん!」

日没後は二の丸あとで紅葉のライトアップが行われていました。 ただし 紅葉する木が数本しかない。。。

せとか は愛媛県農業試験場で作られた作出された品種だそうな

せとか うまいよね

秋山兄弟生誕地は月曜日でお休み あらあら。 ちなみに海軍軍人だった弟の終焉の地は神奈川県小田原城の近所。 昔の人は短命 51歳。 その秋山兄弟がたいそう働いた日露戦争当時、日本の各地に捕虜収容所ができて、そのうちのマツヤマは戦場のロシア兵の中でも有名だったとか吉村昭が書いていた気がする。 
その昔、HB9(スイス連邦)のジュネーブにある赤十字赤心月社ミュージアムには日露戦争での日本の捕虜の取り扱いの懇切さが展示されていました(2015年にはなくなってた)。 こんな感じ

「坂の上の雲ミュージアム」へ行きます。 NHKのドラマは楽しかったね。 (司馬遼太郎の書き物が好きではないので、読了した本は皆無)

よくこの船でバルト海から地球を半周して来たもんだよねぇ

まぁ 話の種 でした。 話の種で済まないのはミュージアムの建物の方。 日本の建築家、建築デザイナーというものは何故このような自己満足の塊の利便性の低いものをデザインし、役所はそのデザインを採用するのかねぇ? 話の種レベルの展示の貧弱さと固定費の高さの反比例が印象深かったです。 

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