今も、秀吉の小田原攻めの頃も、アクセスが良いというわけではない「太閤の石風呂」を見てきました。 ここは見るだけで入れません。 ただ、狭くて深く切れ込んだ渓谷の脇のステップ上のところに岩湯があるだけ。 そもそも、ここに行くには近所に駐車場もなく、徒歩しかアクセスがない。 という場所ですのでXYLに「いかにも底倉、宮ノ下の温泉資源状況がわかる場所」と言われても「停めようがない」で行ったことがありませんでした。
宮ノ下の駅から歩くとか、宮ノ下の町営駐車場から歩くのも手ですが、あの交通量で宮ノ下の交差点から先に歩道がないのがねぇ。 今回、菊華荘で朝食を摂ったついでに覗きに行きました。
「丁」は河川の長さの単位でおよそ200m。 ざっと400m渓谷沿いの舗装路を歩きます。 音が同じ「町」だと約100m。 一里=三十六町だそうです。
で、こんな風景の中に
風呂というからには当時は蒸し風呂として使ったのでしょうか? 浴槽に入る入浴設備を風呂と呼ぶのは江戸時代以降。
ちなみに小田原攻めの頃このあたりは当時の東海道からとても離れていて、こんなところにわざわざ来るか? みたいなところです。 以下は当時の東海道(湯坂路とか鎌倉古道とか呼ばれています)。
さて、この峡谷の両斜面からは温泉が自然湧出しています。 こんな感じ。 元々の箱根の温泉はこんな感じで湯が湧いていたのです。
ここも温泉施設作ればポンプ無しで湯が使えるのですが長い事放置。。。
もっとも、今ではほとんどの温泉源泉はコンプレッサを使ったエアリフトポンプで揚湯しています。(アネスト岩田がターンパイクの命名権を買ったのも そんな理由かもね)
岩風呂の近所には「太閤の湯」がありまして、こちらはご利用いただけます。