大学から教養課程がなくなったことが、ゆとり教育の中の最大の失敗ではないかとPGJは思います。 ですから、90年代初頭に教養課程廃止OKを聞いたときにはあきれ果てました。
今、やっと教養課程を充実させようという大学が出てきたようです。 手遅れながらMuch better than nothingではありますが歓迎すべきことです。
そもそも、ごく少数の大学のごく少数の講座の卒業生を除いて、社会に出てすぐ役に立つ即戦力などにはなりません。 大学は考え方を学ぶところなんで、即戦力を生み出す専門学校ではないのですが。。。
今も即戦力がついて就職に有利だという理由で理系に進む学生が多いそうです。
残念ながら企業は学生の即戦力など全く期待していないのです。
ほかと違う考えができて、ユニークで好奇心旺盛なやつがよろしい。
大学で教える内容なんて、特に工学、科学系の場合は、すでに時代遅れなのです。
PGJの場合、農学系の専門教育は社会に出たら基礎知識として役立ちましたが、業界では皆知っている当たり前な知識でした。
一方、教養課程で習った社会学、文学、行動学、法学などなどのいわゆる社会科学は「マクロを考える」という基礎を学ぶには実に貴重な経験でした。 多くの尊敬すべき教授たちに会えたのはラッキーだったですね。 当時はまだドンネルの気風を受け継ぐ大学でした。
(今は名前を書けば全員合格の底辺大学に成り下がってしまったのは理事会の責任だぞ。おいこら!by怒れる卒業生hi)
さて、科学というと試験管の中で生み出されるものだけを科学と思っている人が日本では人口の9割以上いるでしょう。
そして、その9割の言うことがふるっている「カガクで証明できないことが社会にはたくさんある」。 この場合、彼らが思うのは試験管の世界なのでしょう。
だいたいからして、日本語では科学と化学が同じ音なので、勘違いが生じやすいですが、ここでいうカガクは正確にはScienceでありPhilosophyなんですね。
博士号(ハクシゴウ)をPhDと略しますが、これはPhilosophiae Doctorの略で、無理に日本語にすれば哲学博士。 医学博士も農学博士も工学博士も文学博士もPhDは哲学博士なんですな。
「カガク=哲学で証明できないこと」は世の中にどれだけあるでしょう。
皆無とは言いませんがかなり少ないでしょう。
よく言われる難問「神の存在」は社会心理学的には「アリ」ですが物理学的には「証明できないから無い」でしょう。
科学とはそういうものなのですが、Scienceに触れずに生活してきた人には理解不能のようです。 これをわかってもらうのは本当に大変。 一方、そういう人たちは似非科学には簡単にひっかかるからタチが悪い。
確かに、学説が多数ある分野と、真実が確定している分野が混在しているので、考える訓練を受けていない人には弁別はとても難しいでしょう。
かくして「カガクデトケナイナゾモアル」という百萬ダラが出てくるのでしょうね。
工学と科学と別記しましたがTechnology とScienceは別物です。 ちなみにScienceをやっている人はTechnologyを下に見たがります(ビッグバンセオリーのシェルドンがいい例)が、どちらが偉いというもんでもないです。
差は科学は発見し、工学は発明する。 てなところでしょうか?
昨今の儲かる先端科学は科学と工学のミックスです。iPS細胞などがいい例ですね。
と、いくら説明してもわからん人にはわからんか。。。