色々噂は聞いておりましたが、今回実感致しました。
「会津は未だ戦争中です。」
戊辰戦争の恨みつらみが延々生き残っているのですなぁ。
というわけで、当初予定になかった会津若松1泊2日。
定番 再建鶴ケ城
奥羽列藩同盟つながりの仙台藩士子孫なPGJの父も同情しきりだった会津藩なので、鶴ヶ城のプラモデルを買ってもらった思い出が。。。 なにぶん大正時代の仙台産のおっさんで、満蒙で戦ったという経歴なので薩長とロシアは大嫌いで、かなり偏向教育されたもんですhi
ともあれプラモデルであっても作ると外形を覚えているもんですね。 手が覚えている とでも表現しましょうか。
で、只今の見どころは松平容保展。
孝明天皇の御宸翰と御製を拝見できます。 いくら孝明天皇に愛されても、それを弑逆されてしまったらどうにもならんのだけどね。 その後の会津の不幸は皆様御存知の通り。
殿様は真面目な方なので維新後はほぼ語らず亡くなってしまいましたが、勝安房のようにべらべら喋っていたらさぞ興味深い史実が残ったでしょうにね。
ちなみにそのべらべら喋って自慢話が多い爺さんの本はこちら
この若松城を縄張りをしたのは保科松平家より前の蒲生氏加藤氏だそうですが、堀は深い石垣は高い、とんでもない堅城です。 小口径火器でドンパチやっても落ちるもんじゃないですね。
(この記事を書いているときに我家が揺れています。陸自の特科部隊の演習です。 今の陸自の155mm榴弾砲があったら1門でかたがついたでしょうね。)
ちなみに司馬遼太郎が有名にしたアームストロング砲はOne of themの砲で勝敗を左右するような有力兵器ではなかったようですね。 今も昔も文系のメディアはわかりやすい物に食いついて「それだけ」を振り回すという一例かもね。
ともあれ たいした縄張りの城郭です。
で、当時の小火器の説明展示
前装弾銃の弾込めについて
前装弾銃は薬莢を持たないので銃口から炸薬を入れてその後弾丸を入れるのでこういう感じに薬室に収まります。 薬包の紙は弾の転げ落ち止めに弾の前に押し込みます。
なんですが 説明動画がおかしい
この薬包を
そのまま詰めたら
弾丸が一番奥に行ってしまいます。 これでは発火しない。
誰が作ったんだ、この動画。。。
まぁ いい城でした。