七日町オブ会津若松

まだ続く、会津ネタ
鶴ヶ城が良かったので、では翌日も!と泊地から南下して帰る予定を変更してまたくわいづ。
XYLの大学時代の同級生の実家の鶴之江酒造のある七日町へ。

まずは鶴之江で会津中将を買いました ゆりは買わなかった。 ゆりちゃんごめん。
    
店舗のお姉さん愛想なさすぎ。。。  別に薩摩弁で話していたわけではないんだが。 
元文房具屋さんの骨董屋さん「井上一夫商店」で明治初期の会津塗の汁椀5点セットを買いました。
       
       
       翁と媼での商売で「在庫減らしたいんだ、いくらでも負けるぞ」
       だそうです
       
       これはほんの一部。
店主の井上さん曰く
「 この間、新発田の人にちゃぶ台売ったんだけど、『新発田が裏切って薩長に付いたから会津は負けた』って文句言ったら、新発田の人が『本当にすいません』と謝って帰って行った。」そうで。
あの辺りでは、太平洋戦争なんて数に入らん。 戊辰戦争こそが「この間の戦争」なのね。
       
昼飯はTripadvisorで有名な田事 




観光の食事にはFBと思われます。 美味しかったわっぱメシ。

さて、次は斎藤一だ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E4%B8%80
新撰組で京都から会津まで戦い続け、維新後は西南戦争でも大活躍のお方です。
その昔の大河ドラマではオダギリジョーが演じてました。 当時はZLでJapanTVで見てた。
で、その墓が

死んだときの名前は藤田五郎なので藤田家。
こちらは戊辰戦争時の東軍兵士の墓地のある寺でして。

        
更にこちらは、西南戦争で西郷率いる私学校の暴徒鎮圧した時の会津人戦死者の慰霊碑。 佐川官兵衛以下60+が戦死。

こちらのお寺の解説によりますと。 会津戦争の戦死者の遺骸は回収が許されず、腐るに任せ野犬の餌になるに任せ、だったそうで、翌年やっと許されて2寺に合葬したのだそうで。
そりゃ松平の殿様を見限った会津の町人も、さすがに恨みに思ったろうね。 で、未だに心のなかでは戊辰戦争中。
七日町 素敵な漆器屋さんはあるし、面白い店はあるしで、また今度行こうと思います。

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