一昨日の大河ドラマは徳川欧州派遣団撤収のお話。
https://www.nhk.or.jp/seiten/special/weekly_24/
「徳川幕府崩壊で明治革命政府から帰国命令が出てご一行様が欧州から日本へ戻ります。 ついては世話になった現地の人々に礼を言ってお別れ。」
というお話。
PGJも外地勤務中に勤務先が名古屋のトマトソース屋に引っかかって転覆。と云う経験があります。 それを思い出して妙に感情移入して見ていました。
PGJは帰国命令を無視して現地で辞めてしまったわけですが、民部公子と渋沢は帰るんですねぇ。
渋沢がフランスの人々と別れの挨拶をしているシーンを見ながら、PGJが現地で辞めるときに現地人の上司や同僚が心のこもった惜別の辞をくれたことを思い出しました。
誠実に現地の人と仕事をすると渋沢でなくても特別な信頼関係を作ることができるものです。
なんだか懐かしく思い出しました。
レールを敷いてしまうと、あとの人は台車を押すだけで済むので、私が居なくなってもプロジェクトは問題なく動き、おかげ様で製品は未だにスーパーマーケットで見ることができます。
ある意味、私のことは「誰にでもできる状態にする天才」と呼んで hi