水曜日にフジヤホテルのザ・フジヤでランチをとったのは既報の通りですが、建物の修理がお見事でした。 修理完了再開から4年経っているのですが、よほど営繕が良い清掃がよいのか綺麗なままです。
工事をしたのは鹿嶋 耐震施工がお見事で 耐震改修優秀建築賞をとっていました。
建築防災協会のこの賞は奈良ホテルも受賞しているようです。 最後に奈良ホテルに泊まったのはいつだったか? ともかくヨレヨレだったのを覚えております。
サービス業で品質を維持するのは大変なのよ。
そのサービスを売り物にしようと考えたのがこのおじさん
地元のお金持ちというわけでもなく、明治初期に「これからは外人相手に箱根だ」とやってきたのですから目の付け所がすごい。 箱根の麓から宮ノ下のホテルまで有料道路を開削してしまったくらいで(今の国道1号線)。 更にその道を芦之湯まで延伸したのが芦之湯の松阪屋さんの松坂万右衛門さん。 どちらの宿も末裔はすでに居られませんが。 仙之助がいかにすごいかはWikiを見ていただいて。
国道1号線からよく見える建物がこちら
ここまでは、泊まらなくても飯食わなくても入れます。
さて、様々な資料が廊下や資料室に展示してあります。
開業当初から5年間の資料は宮ノ下大火ですべて焼けてしまったそうですが、それ以降のものは残っていまして。
こちら日光金谷ホテルの金谷さんの次男で2代目に養子に入った人。
ちなみに関東で初めて屋内電灯がついたのはこのホテルだそうな 自前の火力発電。。。
自前の水力発電をやった旅館もあるのが昔の箱根の人の偉さだねぇ。
明治天皇の御製があるくらいの皇室御用なので。
国際興業の小佐野賢治といえば大変な政商でしたな。
国際興業がオーナーになるにあたってはお家騒動が発端だったとか なかったとか。 まぁ一族が歴代ずーーっと優秀で、家が続くなんてのはいくら日本でもなかなかねぇ(それでも100年以上続く会社が世界一多いのは日本らしいが)。
もっとも国際興業の資本力がなければ令和の大改修はできなかったでしょうから。
歴史が続くというのは大変なもんです。
次回は泊まってみようと思います。 近所のホテルに泊まるのって意外と楽しいのよ。
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