こんな高い山の上に開拓地があります。


北海道の屯田兵は別として、多くの「開拓」は第二次大戦後の海外引揚者によるものが多いです。
移民として出かけていったのに無一文で追い返されてしまった上に、又「一から始めろ」というのが本邦の役所と政治家の施策でありました。
神奈川県でも多くの入植地ができました。 ここ山北町(JCG11002E)向原高松山開拓もそうだとは思うのですが、それにしてもよくもまぁ、こんな山の中に。。。 です。 確かに水が豊富です。 産業としては畜産だったそうで、牛小屋のある家が多いです。 今も人口が60人ほどあるそうで、驚いたことに今世紀まで山の分校がありました(一番上の写真、今は廃校)。

普通車やロードスポーツバイクで登れるのは、ここくらいまで。
これから上はランクルなどのような重い車も遭難します。 車道がいつの間にかにハイキングコースにっているところがいくつかありますのでご用心。

ルートはこんな感じ(山北町と松田町寄地区にまたがっています)

ルートの山北側では第二東名の橋梁工事を眺められます。
