グロム用 オフタイヤ GP-22

XYLが「脚痛くてXLR80Rしか跨げない」ということで「グロムにXYLが乗って、PGJが250に乗ってツーリング」という当初のプランは無くなり。 「ではグロムを農道仕様にしましょう」になり、アップフェンダーを付けたわけですが、タイヤもオフタイヤにしました。

写真はIRC様webより

井上ゴムのGP-22 https://ircmoto.jp/product-list/minimoto/gp-22/ PGKのXLR80Rのタイヤは目の細かいトレールタイヤですが、GP-22はいわゆるキャラメルタイヤ。 キャラメルタイヤなんて最後に乗ったのはTL125ですから90年代後半。 ほぼ30年ぶりに乗りました。 バイクだけバンクさせてリーンアウトでコーナーを回るというのを久しぶりにやりました。 

幅広小径ですからガレガレ廃道は無理ですが、砂の浮いた舗装路も荒れた無舗装農道も安心して走れます。  XLR80Rと走るのにちょうどいい感じに仕上がりました。

この程度の道なら楽勝。

ただ、リーンウィズで舗装路を狙ったラインどおりに走るのはキャラメルが変形して結構難しい。 コーナーの曲率がきつくなるといやでも「バイクだけ傾けて」になってしまいます。 これは元トライアルライダーの習性なのかも知れません。

こんな道を通ったのは、山北町(JCG11002E)の高松山開拓の碑文を読みたかったからです。

苔むして判読不能なので帰宅してから画像処理して読みました

碑文 

本組合は戦後極度に悪化した我が国の食糧増産の使命を担うために緊急開拓事業として昭和二十八年六月十六日に発足し高冷不毛のこの地に入植して以来満足な家もなく粗末な衣服をまとい野草を糧とし掘立小屋にランプ生活を送りながら使命達成のため開墾農道開設あるいは住宅畜舎の建設を進め文字どおり裸一貫から想像を絶する苦難と試練の日々を乗り越えて今日に至った
ここに開拓三十周年を迎えるに当たり不撓不屈の開拓精神と先人の偉業を永く後世に伝え心の糧とならんことを願い記念碑を建立する
昭和六十年十月十二日
高松山開拓農業協同組合

昭和28年というと「もはや戦後ではない」の3年前。 焼け跡生活からだんだん良くなってきた と言われていますが、国会では開拓融資保証法が成立しているくらいですから国として食糧増産と人返し令を推進していたのです。

戦争に行って、帰ってきて戦後復興をした世代(PGJの父の世代だね大正から昭和初期の生まれ)は立派だったねぇ。 それを蚕食して私らの世代に寄生している世代とは別の星の人間のようです。

結局 国としての開拓事業は昭和33年(1958)まで積極的に推進していたようです。

さて、今日は高松山に登る前に南足柄市(JCC1118)の桜の名所を見て、帰りがけに第二東名の工事を覗いてきました。 

桜 1箇所は、近所の者しか知らないので空いていました。

こちらは他府県ナンバーの方が多くコスプレーヤーまで湧いていました。 すげー。

そもそもトンネルがいつ開通するかわからんので橋梁工事もこんな感じ

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