大阪万博

と申しましても大阪の政治家が博打場利権でやった2025年のあの惨憺たるシロモノではなく、1970年に開かれた万国博覧会の記念公園に行ってきました。
「太陽の塔の内部が公開される」と公園の近所に住む大学の同期に教えてもらって予約を取りまして。
55年ぶりに太陽の塔の中を拝見してきましたよ。



広角レンズをつけたフルサイズを持っていきましたがカメラが使えるのは1階フロアだけ、2階以上は500円出して借りる塩ビのスマホケースに入れたスマホだけ使えるそうでしたが、まともな写真は撮れるわけもないので借りませんでした。 なので写真は1階だけ。
太陽の塔の他に鉄鋼館パビリオンが資料館として残されておりまして、覗いてきました。


1965-1970年の日本の実力世代は凄まじいなぁ! というのが感想です。







XYL曰く 「現物は大根レッグだったのよねぇ」


すべてはここから だそうですがPictoは1964年の東京オリムピックからです

そういえば、日本館で「うわー 乗りたいなぁ!」と小学生のPGJが思ったリニアモーターカーは中国様に先を越され未だに実現しておりません。

1965年といえば太平洋戦争の敗戦から20年しかたっていないのです。 経済や産業の中堅世代は皆戦争帰りです。 負け戦でぼろぼろになったのを20年で、あのような博覧会を企図し5年後の70年に開催できるような国にしたのは天晴としか言いようがありません。 終戦当時20歳前後として、存命なら御歳100歳。 ほとんど死に絶えたのでしょうが、そのような先輩たちのお陰で20世紀終盤の日本の反映はありました。
そしてその子供の世代がバブルを起こして日本沈没深く潜航した30年でございます。 70-80歳代の皆さまですな。 やらかしたのは。

太陽の塔 ケルヒャーのPRで洗ってもらえばいいのになぁ。 というくらい汚れていました。 金の顔も退色してヨレヨレです。

ただ オリジナルの金顔は21世紀に外して洗って屋内展示されていました。
デカ!

わう様も記念撮影。


同じ会場でマクロスの作家の河森氏の展示があって、覗いてきました。


これで1000円取るのはボリすぎだな。 な展示でした。 PGJ達は無料券があったのでこの日は全部無料でしたけど。
わう様はご満悦
2日目は民俗学博物館じゃ!
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