国道152号を南下を続け旧長野県下伊那郡上村(廃JCG09008D)へ。
この酷道もいよいよ佳境であります。
地蔵峠を越える前に大鹿村名物中央構造線露頭があります。
二輪で走り抜けたころは、止まっている余裕が無いのでしたが、今回は初めてクルマを止めて覗いてきました。
皆様。私知りませんでした。 中央構造線とフォッサマグナは別物です。
まぁ言われて見りゃそうなんだが。。。
さらにフォッサマグナは線ではなく地域のことだそうで。 高校の地学の先生も間違って覚えていた気がするぞ。。。 (>_<)
で
川の向こう側の左側 赤茶色が領家変成帯 右側灰緑色が三波川変成帯
画面の黒い部分の左縁が中央構造線です。
この線を境に延々左右に滑り続けているのだそうです。 単位は10万年ですが。
詳しくは http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
さて地蔵峠を越えて(ただいま工事中で日曜以外はほぼ通行止め)、旧下伊那郡上村へ。
上村と言えば
霜月祭
秋口に秋葉街道を走ると看板を見るのですが湯立神事としかわからなかったので、霜月祭資料館である「まつり伝承館 天伯」に寄って見ました。
http://www.tohyamago.com/rekisi/kamimura_rekisi/index.php
展示はこんな感じですが。
実際は強烈
古来の湯立神事 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E6%A5%BD と遠山氏鎮魂が混ざったのが霜月祭です。
そりゃ鎮魂もしたくなります。
織田信長の武田攻めで、高遠城に詰めていた御一統様討死。
そのあと大坂の陣は徳川様について一息ついたところで徳川時代初期にお家騒動で旗本クラスに格下げ、さらに。
幕府の山林統制で不満がたまった地元民に一揆を起こされ皆殺し。
地元では「殿様の圧制。と言うことにしてあるんだ。」そうです。
遠山郷と言う地名だけ残して南信濃の遠山様は滅んでしまったわけです。
ちなみに遠山の金さんは明智遠山系です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E6%B0%8F
この遠山様。祟りをなしたそうで。。。
こちら上町地区のまつり面は死に顔の遠山一族。
こちら下栗地区の面は生き生きしてますねぇ。
このようにいわく因縁のある霜月祭です。 行ってみたいけど11月の秋葉街道は強烈だと思うなぁ。
さて、上に出た下栗地区
これが半端じゃない
あの山深さは写真ではわからん。
日本のチロルと呼ばれているそうですから。
こんな山の中だったら、こんな奇祭も残るだろうよです。
旧上村 旧南信濃村を南下すると青崩峠。 ただいま工事中。
で、兵越峠を越えて水窪経由で帰ってきました。
今回のルートをバイクツーリングしたときの記録はこちら
http://www.zl2pgj.com/hobby/travel/jpn/r152.html
当時は日帰り 今は2泊+高速 ジジババになったよ。hi