「研究者の人件費=無料」なのか?

two clear glass test tubes

毎度、読売新聞の記事から。
(我が家じゃ明治の創刊直後から読売読者なんで、どーも)
KO大学の教授が裏金作って袋叩きにされているけど
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20051004it01.htm
この種の事件が起こるたびに私は思うのです。
「なぜ理系の科学者たちは文科系の人たちを教化することを諦めているのだろう?」
「中国と同じアジアの混沌。 なにゆえ日本人は規則を守るのが苦手なのか?」
この種の研究は作業中に思いもかけぬ発見がしばしば有ります。 それらを追求する必要が生じれば、別の種類の分析機材の購入、もしくは専門家の雇用をせねばならない。
ところが日本の役所の予算はあらかじめ申請した機械の購入に偏っているから、新発見があっても研究のための「予算は来年ねー」ということになる。
文科系の人はご存じないと思うけど、新発見は週刊なり月刊の科学雑誌に掲載されてこそ評価されるもので、世界中の同業者が鎬(しのぎ)を削っている。 そこで「じゃ、来年予算をつけてもらってー」では間に合わない。
「○○の研究をします。 予算はこれだけください。 予算の50%の使途は未定です」というような予算処置を認めなくては日本の基礎研究の底上げができるわけが無い。
こんな、裏金作ってで無理して実験続けるから、追加雇用の研究者の給料は激安。 優秀な研究者はアメリカへ逃げ出す。 という負の連鎖反応。
で、
あれだけいる日本の科学者たち(学士院の爺さんたちもおるだろう)は、なんでまた現行制度の問題点を文科系がほとんどの官僚達に分かるように説明説得しないのかね。 プレゼンテーション下手すぎでないか?
そしてまた一方、
どうしてアジア(含むJA)の人は規則が守れないのかね?
規則が現実に即していないのはわかるが、曖昧に判断してグレーゾーンを広げていくことが日本の文化には多々あるけれど、それが「可」とされた時代は過去の物なんだよね。
中国伝来「清濁併せ呑む」が偉いとされた時代は過去の物。 濁を呑んでKOの先生は大学の看板に傷を付けたとさ。

Share from here.