PGJの曾爺さんは一族自慢の西洋医学の医師だったそうだ。 なにしろ安政年間の産だから西洋医学を知っているだけで神だな。。
このじいさんについては色々と伝説が有って、「あのように偉くならなくてはなりません」と子供時代は大人達に散々言われたものでした。 が、、つらつら振り返ってみると、曾爺さん以降、PGJも一族郎党も、ろくなもんじゃない。hi
今振り返ってみると「偉くならないといけません」は「俺達はダメだったけどな」という親戚筋のため息なのかもしれませんね。hi
皆さんも親御さんたちにそんな偉大な先祖の話を聞いたことはありませんか?
ちなみにこの伝説爺様は南校予科は出たけれど、XYLが発掘した成績表によると、「幣」ばかりの成績だったそうです。 (そこは私の成績そっくりだ) 当時、医学部は東校だったはずで、曾爺さんは理学部卒の医師だったということになります。
まぁ30歳すぎて漢方は時代遅れと思って勉強したんだから「エライ」というのが亡き祖母のご解説でした。
なぜそんな話を思い出したか?
団十郎のwebを覗いて九代目団十郎の馬ヅラを見て、九代目の馬ヅラと曾爺さんが並んでいる記念写真があったのを思い出したからです