名古屋といえば、仕事で行くことがほとんどで、観光の対象になった験しが「ほぼ」ありませんでした。
で、今回は名古屋観光です。
まぁ、食事と諸サービスの質には「ヤレヤレ」でしたが、さすが徳川様の遺蹟は素晴らしかった。
行ってきましたのは定番名古屋城。
太平洋戦争における米国空軍の枢軸国一般市民への大規模破壊攻撃の一環で名古屋城も灰燼に帰しまして(炎上中の天守閣の写真が残っています)天守閣は再建品ですし、完全なオリジナルに戻したわけではありませんが、そこはDL(ドイツ連邦)のヴュルツブルクと同じ復元方針です。(ヴュルツブルクの方がオリジナル重視が徹底していますが)
もっとも再建されたのは天守だけで本丸御殿、二の丸構造物は礎石を残して野原のままです。
そんな有様ですが、さすが名古屋城です。
総構(そうがまえ)は残っていないけれど、主郭の石垣や堀の御見事なこと! さすが「尾張名古屋は城でもつ」と言われるだけあると感心しました。 アレだけの大城郭。さぞ消費も凄かったでしょうね。 経済をどれだけ活性させたか想像しても余りあるでしょうね。
さて、名古屋に行って徳川様の遺蹟を見るんでしたら徳川美術館は欠かせません。(下写真)
徳川宗家は幕府滅亡以前から予算枯渇でガタガタ。 徳川慶喜家はフリーランスのカメラマン。
紀伊様は戦後のごたごたで御零落。 もともと紀伊は産業に乏しく。。。
ところが、尾張名古屋は商業が盛んで、収入に対して支出の割合が幕府より少なかった。
おかげさまで、御宝が現代まで残ったというわけらしい。
ともかく御見事な大名の生活様式、御道具の数々。
願人坊主の成れの果て(どこかの時代小説)の御家柄でも、あちらの名族、こちらの公卿と交雑を十数代重ねれば「御家柄」です。