定番の大善寺での花見。 2016年以来です。 https://daizenji.org/
こちらは山梨県最古の建造物で鎌倉時代の建造。 他は例の尾張のウツケ他、濃尾三河出身の皆様方が焼いてしまいましたので残っておりません。 奈良県に1000年前の木造建築物が残っているというのは実は大変偉大なことなのですねぇ。 さて、大善寺。車検が通らんような車高短グルマは物理的に「やめときなさい」です。 PGJの純正車高のNDロドスタも、「あ、帰りはこのルートでお帰りください。あっちはそのクルマでは無理。」とご教示戴くくらい。
さて、山門です。
大善寺山門は明治革命内戦で大久保大和率いる甲陽鎮撫隊が東征軍に大負けに負けた際の錦絵の舞台になったところです。
この門が歴史に残る柏尾坂の戦いの古戦場で、三河以来の旗本より徳川家を大事にした多摩の近藤さん等が徳川家ゆかりの大善寺に立て籠もらなったので、焼けずに済んだ寺であります。
ウクライナ戦争もそうですが、殴り込んでくるやつは軍規軍規と行っても、ろくでもないわけで。
そんないわれの残る山門をくぐりますと、石段がございます。 途中までクルマで登ることもできます(車高短の他に下手なミニバン乗りもやめておいたほうがよろしい)。
本堂の前にはゴータマ・シッダールタがその樹の下で悟りを得たという菩提樹が植えられております。
「様子がいい素敵なわう様」承認欲求が大きいわう様は、悟りを開くなんてことは無理で、このような場所でポーズをとっています。 体型といい、センスといい「北の若旦那」状態。
こちら撮影風景
さて、堂内は外陣内陣とも撮影できませんので写真なし。 鎌倉時代まではこんな太い材がこの周辺で調達できたのね。 という立派な建築構造です。
こちらは鐘楼
大善寺は桜のシーズンを逃しても、このあと近隣の桃の花のシーズンもありますし、武田家終焉の地に建つ景徳院などもあります。