18年ぶりにマツダミュージアムに行きました。
当時はマツダのクルマに乗るとは思っても見なかったなぁ。(当時はSW20とBeetle) この18年でミュージアムは2度大改装していると思われ、展示方法は大きく変わっていましたが、並んでいるものはあまり差がない。 (18年も経てば車種は増えたは増えた)
とはいえルマン優勝車(787B)の展示が見栄えよくなっていたのは嬉しい。 あの優勝(1991)は本当に良かった。 当時PGJは海外工場と格闘する人生の駆け出しで、海外で頑張る日本人に妙に共感していたもんで、「あぁ よかったなぁ」と思ったのでした。
今のNDロドスタに乗るまでは東洋自動車なんてPGJにはそれだけの会社でした。
で、早めに本社へたどり着く。 広島は都会なので朝は渋滞がある。 自分のクルマをマツダ本社前で撮影したい というのでなければJRが鉄板であります。
18年ぶりに行って驚いた。 社屋はまるで変わっていない。 周辺の風景も。
一方 大きな違いは訪問者の数。 18年前は3-4人のツアーだったのが今回はバスが満員(本社前集合で工場内敷地を社内バスで数キロ行くのである)。 前回のツアーの見学記はこちら
お出迎えのクルマはお約束 オート三輪
そして四輪車の生産が始まって。 歴史を作った松田車が並びます
蛙の前のカエル
で、例のロータリー
そりゃ高級スポーツだねぇ。 今のNDRF-RSなんてオプションつけまくっても600万円で買えます。 それを考えるとコスモスポーツは値段の割によく売れたねぇ 石油ショックとびんぼくさい国民性がなけりゃねぇ。 廃盤にはならなかったかもねぇ。
で、潰れそうな東洋工業を救い、ついでに世界中のオープンカー乗りを救ったNAロドスタ。
そして今のNDロドスタのモットーは
はい! 百千のスマイルをいただきました。
そしてルマン24時間優勝の787B
でこちらが4ロータのエンジン
まぁ バブルだったのよね
1984年のグループB ラリー車
4WDが出始めた頃で、WRCで走った優勝できるFRラリー車の最後の部類ですかね
こういう目玉がたくさんついている車が好きだった。 で自分のAE86もそうしたんだが 笑
衝突安全試験のサンプルもあります。
この状態で「スッ」とドアが開くのですよ。 最近の安全設計の凄さよ。
しかも 今どきは
足元を守るエアバッグもあるそうです。 マップケースをそこいらに付けたらエアバッグ展開時にケースが足に刺さるのでよく考えましょう。
で、最後が「鼓動」のテーマ
このあと生産ライン見学 写真はない
ただ、18年前に呆れ返った歩き回るラインは生産性改善がかなり進んでいましたよ。 さすが生き残っている産業は立派。 日本の家電工場は滅んじゃったからねぇ。
お土産は
バブル時代はPGJは超絶貧乏でクルマを買うなんて考えもできなかったけど、マツダはルマンでの格闘を見ていて会社/ブランドとして好きになりました。 それが昭和の頃のお話で、令和の世の中にロドスタを買うとは思いもしなかったなぁ。
企業の広告活動は 大事なのである。
Youtubeで当時の再現ドラマを見ることができました。 これ、当時は見損なっていたので嬉しかったなぁ。 それにしてもバブルでしたな。