JL123便の墜落事故から4半世紀ですか。
月日のたつものは早いものですね。
遺族の「事件を風化させたくない」という気持ちには衷心から同情しますが、ヒトは忘れることで生きていける動物でありまして。。。
ただし、失敗の教訓は教育訓練と標準作業手順のなかにしっかり生きているものです。(残念ながら日本をはじめとしてアジアのまともな教育を受けていない層は手順無視が甚だしい為、各業種で同種事故再発の原因になっています)
Learn from mistake はQAの初歩ですし、経験値が上がってくると間違いが起こる前に「勘」が働くものです。
PGJはよく職場で「やめとけ」と云いますが、この道うん十年だと勘も働きますhi
昔はこのベテランの勘を説明するのに良いツールが無かったのですが、いまではデータを自由自在に集計できるツールがいくらでもあるのでかなり楽になりました。
先日Excelのピポッドテーブル講習会に参加したのですが、そこで講師曰く「これで分析できるのは表層だけ。経験と各分野の専門教育が無ければ使いこなせません。 これは勘を立証するツールの一つだと思ってください」だそうで。
さて、ところで、事件事故の風化。 皆さん。航空機の全損事故で覚えている一番古いのはどれですか? ネットや本で読んだ記事で無く、自分の記憶として覚えている一番古いのは?
私は富士山太郎坊に空中分解して落下したBOACが一番古い記憶です。
この事故がきっかけで山岳の風下を飛ぶ際の安全高度の重要性が徹底されたようです。 積乱雲があったわけでもないのに乱気流で機体が分解してしまったのですから、関係者が当惑した事故でもあったようです。
晴天乱気流による事故は航空自衛隊も経験していたので、この事故自体は意外と早く事故調査を終えています。
で、みなさん覚えていますかBOAC事故? 雫石事故は? 古くは ばんだい号事故は?
伊豆大島に墜落したもく星号になるとPGJも歴史の教科書でしか知りません。
航空機事故のみならず
国鉄の三河島事故、鶴見事故を含めた国鉄五大事故
残念ながら風化するのが当たり前なんです。 忘れていくからこそ生きていけるというものです。
なにしろ、太平洋戦争の存在さえ知らない世代がいる世の中ですから。 一昔以上前の話は風化するのが自然なのでしょう。
風化させてしまえばいい100年も前の話を蒸し返したとんまな政治家がいますが、朝鮮半島を対ソ防波堤にすることは、当時としては日本の国防戦略上の必要処置だったわけで。
「残念な過去だが、こちらも日本人民共和国にはなりたくなかったんで」というのが本音なんでしょう。 ならそれで、云いようもあるもんだが、全共闘世代はどうにもならんね。
PS:忘れない人もいます。京都の人にとってこの間の戦争は応仁の乱。 ポーランドの旧家にとってこの間の戦争はナポレオンだそうで。 執念深いことで。。。