讀賣新聞の「時代の証言者」はなるべく読むようにしている連載記事です。
まさに「各界」の爺さん婆さんが自分の経験を語っているのです。 歌手だったり作曲家だったりダンサーだったりするとチラ読みして「やはりつまらん」「早く終わらんかな」と思いながら次の人を待つ感じです。
すかいらーく創業者の横川と云う人の記事は元食品技術者として興味深く読みましたが、「行かなくてよかった」とつくづく思いました(過去30年で2度採用面接を受けたことがあります)
紙の新聞はこの「時代の証言者」を読んであとは読まずに捨てるだけなので実にもったいない話です。 最近のこの連載を読むだけなら、ネットで無料なのね。
https://www.yomiuri.co.jp/serial/jidai/
最近は、田村哲夫という人の「私学を育てる」という記事を興味深く読んでいます。
「文理を問わず幅広く学ぶリベラルアーツを教育」の大切さを田村氏は主張しています。
PGJも大学4年間で受けた教育で今役立っているのは教養課程と卒論研究と思っているくらいですから、氏の主張に賛成です。
私が教養課程を受けたのは80年代前半、農学部の学生が医学部、薬学部、水産学部の学生たちと机を並べて文学、日本の古典、社会学、法学、行動学などを学ぶ機会を得ました。
世の中にはいろんな学問が有って、多様な切り口があるということを生物学系の大学で教えるということは意味があったと思います。
90年代前半にXYLが大学に行ったときには教養課程は文科省の方針で廃止されており、影も形もありませんでした。 もっとも、XYLは教授たちと昼から酒盛りしながらいろんなことを教えてもらっていたようですが。 (まぁいい時代でしたね)
理科系と言うと朝から晩まで授業と実験で大変。と思われる向きもありますが、あれは専門技術、専門科学の基礎を教わっているだけで、社会に出て糞の役にも立つもんでは有りません。 ひたすら考え方と、論理的思考の巡らし方を習っているだけです。
医師、獣医師、薬剤師など国家試験をパスしないと卒業証書だけ有ってもカス。みたいな分野では昔から少なからず国家試験予備校と化していますが、現代では大勢がその有様です。
そのような大学教育で教養を持った医師が生まれてくるほうが奇跡です。
昨今では実験をしたことのない薬学部卒業生というのもあるそうです。 ひたすら国家試験対策。 教養課程もなく、実験もせず、卒論研究もせず。
「そりゃ使いもんにならなくても仕方がない」と、そんな新卒同僚を持っているXYLは嘆息しています。
W(米合衆国)では医学部に入る前に他分野の学士以上になっていることが必要だそうで、医師にリベラルアーツが必要だと云う信念が国としてあるのでしょう。
おかげで医療費はキチガイのように高いですが。
ともあれ、本邦では高等学校でも大学でもリベラルアーツを含めたまともな教育をするところは極めて少ないです。 まともな教育を子供に授けたかったら私学。
小学校や大学はともかく中学高校を私学を選ぶと、若い保護者には教育費は強烈でしょうね。
我が家に子供がいない理由の一つ「公立にやる予算しか無いから、子供は作れない」
子供にまっとうな教育を授けられないのに世の中にひり出すのは無責任ですから。