暗殺

ABSTRACTS – 2017 | 2018

手製の火器と燃焼速度の遅い手製の黒色火薬で散弾を発射して命中させるって、3年ぱっかり海自に居たからできるというものでもなく。 パイプ爆弾を作るのは簡単だが弾を発射するようにするには結構試作が必要かと思う。 種子島で火縄銃の模作を始めた頃も「手元で破裂」に手を焼いたそうだし。   
この手の事件が起きると必ず模倣犯が出てくるが、それらが他人を害するより以前に、取り扱いを失敗してあちこちで自爆火災が起きる気がします。 警視庁の対テロ講師が言っていました「火薬とか爆薬とか爆弾とか、製法を調べることもしないでください。 誰かをやっつけようと思う前に自分がすっ飛びます。」 

さて、容疑者の意図、背後組織の有無、動機づけした関係人もわからん状態ですが、政治的意図を持って行われた殺人なら日本は昭和7年(1932)へ逆戻りしたわけです。
アレがすべての始まりだった」。 
その前年にも濱口首相が「統帥権干犯」の意味も知らない壮士に襲われて命を落としているし、1921年には原敬が東京駅で暗殺されています。 

東京駅 原首相暗殺現場
この事件も闇が多い

明治革命の前後に政治的暗殺がはびこったのを見ても、「気に入らんからやってしまえ」というのは鎌倉時代以降のお侍様が政治を司った国ならではかもしれん。

安倍氏には憲法改正を期待していたのですが、改正案があまりに小手先でがっかりしたものです。 とはいえ、この法治国家で暗殺は言語道断だし、生きて語ってもらいたい歴史の証言が多々あったのだが。 本当に墓に持っていってしまわれた。 昭和天皇の独白録や令和になって出てきた諸資料も崩御後数十年で出てきたわけで、それを考えると諸資料が出てきたとしても、こっちの寿命も(へたすりゃ国家の寿命も)尽きているだろうけど。

合掌

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