カルト

crucifix illustration

昨今、日本では「キリスト教徒です」と言うとカルトの信者と思われます。 私はカトリック教徒であると従来公言しておりますが、葬儀の時だけ仏教徒になる殆どの日本人にはキリスト教徒と言えば邪宗門なんだろうなぁ。と感じています。 (邪宗門が嫌いならクリスマスで騒ぐなよとも思いますが)

キリスト教を標榜するカルトは少なくないのは事実ですが、歴史に研がれたキリスト教とホーリネス系カルトを混ぜて語れるのは華厳と法華を「仏教」でひとくくりにするのと同じくらい乱暴なのです。 (法華系の集金力のすごい新興宗教もございますな。)

前世紀に東大寺管主の高僧が申されておられました。
「新興宗教はいけません」 高僧の言われた新興宗教は鎌倉新仏教だったと言うのが驚き。 (Reference 出せとか言う人がいますが、すいません、記憶(教養)として残っているだけで第何代管主の言葉だかは不明です) 
鎌倉新仏教がその有様ですからいわんや明治以降の新宗教など言わずもがな。 お釈迦様の弟子もナザレの大工の弟子たちも当時はイカれた新宗教だった訳ですが、専念単位の時間で磨かれてきたものは、ぽっと出の新宗教とは違います。

さて、1000万円の壺を買え!とか経典1冊3000万円とか云うカルトは論外ですが、宗教団体の集金は当り前のことです。 僧も神父も修道士も修道女も牧師も雲や霞を喰って生きていけません。 仏教徒が「法事や葬儀のお布施が高い不透明!」と文句を言いますが檀家として普段からお寺の維持費を払わずにいればad-hockな作業が高額になるのは当り前。 お寺も教会もsubscription serviceと思えばよろしいのでは? カトリックの神父さん曰く「可処分所得の7%を教会費として寄付してくれると良いなぁ。と言うのが教会からのお願い。」 わが国の税制とは大違いの「金持ちから厚く貧乏人からは薄く」です。

そもそも科学的でない国民性ですし、太平洋戦争前の国家神道へのアレルギーで、宗教教育や哲学教育が手薄な国になってしまったので、変な宗教に引っかかってしまう人が出てくるのは仕方ないのでしょう。 終戦後の新興宗教勃興期を歴史として学んでいればねぇ。 と云う気もしますが。 「馬鹿にわかるように説明しても、そもそも馬鹿は聞いていない。」と云う名言もありますし。

また、インターネットの普及で世の中にいろんな文化や文明があるということが分かってきたのに反動で原理主義が増えるというのは何故なのでしょうね? どこぞの政党や政治家をを支持すると、その団体や個人の主張に100%賛意を示すみたいな人が多いのも気持ちが悪いし不気味です。 まるで1930年代のドイツや日本の再現のように見えます。 「選挙とは良い候補者を選ぶのではなく、より悪くない候補者を選ぶ作業」と云う事を理解していないのではないでしょうか? 

PGJはカトリック信者ですが、カトリック教会の男女不平等には不満ですし、死人が蘇るというのも信じていません。「唯一神の存在を信じるか?」と云う質問に力いっぱい「信じます」とはいえません。
という訳で、カトリックに限らず宗教原理主義も政党原理主義も大嫌いです。 とは言え般若心経をそらで唱えられない仏弟子な方々よりはPGJは宗教的ではあります。 葬式仏教な方々はせめてこれくらいは読んでおくとよろしいでしょう。 キンドルで無料ですから。 前世紀にPGJが80mで神奈川県内のお坊様とQSOしたご縁で頂戴した「般若心経入門」はとっくに絶版ですが、いい本でしたねぇ。 いっぺん生で境内のアンテナ群を拝みに行きたいものです。

すごいタワーだなぁ。

とまぁ、Facebookカトリックグラフの愛読者に指名されての雑感でした。

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カトリックグラフといえば前身はコルベ神父の「聖母の騎士」。 コルベ神父はアマチュア無線の守護聖人なのです。 そうそう、ローマ帝国で唯一神教であるキリスト教が入ってきたときに多神教であったローマの人々が代替手段として発明したのが「守護聖人」という塩野七生の解説は実に腑に落ちます。hi

主の平安