米内光政

米内光政といえば、知っている人は知っているが若人はまず知らないだろうという昔の軍人です。
当然PGJも彼の現役時代には影も形もない。 私が知っている米内光政は阿川弘之の小説の中の人でしかない。
彼の真実は知らない。 でも小説の中の米内はなんとも様子が良い。 
そんな米内の資料館が盛岡市にあります。

盛岡先人記念館は盛岡市の郊外、美術館の傍の実にわかりにくい場所にあります。 何しろナビが迷うくらい、とんでもない場所に隠れています。
展示は麗しいわけではなく、説明も不足していて「どうしてこの人が尊敬に値する人だったのか?」はまったく伝わってきません。 しかし、OZ駐在中、6ヶ月間繰り返し「米内光政」を読んでいたPGJにはお宝の山でした。
なにより、米内が海軍省解散の報告の為に参内した際に昭和天皇から下賜された硯の本物には涙が出てしまった。
昔、日本には偉い人が居たもんです。
この近所には古代のJA3の暴れ者坂上田村麻呂がJA7に殴りこんだ遺跡「志波城跡」があります。 こんな辺地へ飛ばされた古代の近畿の人々の苦労もしのばれます。
というか、殴りこまれたJA7の人の迷惑もしのばれます。

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