原則の無い日本

昨今白洲次郎が流行り物です。
「プリンシプル(原則)の無い日本」と彼が言ったことが、さも特別な感覚/意見のように神聖視する向きもあるけれど。
英国文化圏で仕事や研究をした事がある人は皆同じ感覚を持っているのではないでしょうか。
PGJも思うくらいだから、横飯を食べてきた人には結構普遍的だと思います。
ZLでも、仕事を始めるとき、組織の運営方針を決めるとき、作業手順書を作るとき、一番初めに来るのは「基本理念」であり「目標」であり「原則」です。
米国のお兄ちゃん達がでっち上げたという「日本国憲法」も前文に理念が書いてあるし、我々アマチュア無線家がお世話になっている電波法だって第一条は「公共の福祉」の為であると規定している。
ただし、日本人は基本的にこの理念を吹っ飛ばしてしまう。
会社で顧客に「弊社のご案内」をするときも、私が「弊社の基本理念は、」と詳しく説明していると「そこは飛ばしていいです」という顧客担当はかなり居ます。
そのかわり、品質管理手法についてやたら詳しく説明を求めたりするんですなぁ。
法律や規則の枝葉末節にこだわって、基本理念をぶっ飛ばすのは東アジア文化に共通にもみえる日本文化の特徴かもしれません。 
生まれ育ちのいい帰国子女が白洲次郎なんです。 彼には、原理原則という文化を持たなかった日本人は野蛮人に見えたのでしょう。
いまも、そんなふうに感じる海外生活の長い日本人はいるでしょうね。
私も良く会社で「ガタガタ言うけれど、顧客に最善の選択肢はなんなの?」と問いかけていますが、どうもこれは多くの日本人スタッフにはピンと来ないようです。
白洲次郎。 なんとも素敵な人だけど、日本人としては良くも悪しくも失敗作だと思う。 
参考;日本人とは

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