医師の資質。。 

今朝の読売新聞朝刊の一面で、「数学と物理が強いばかりの人材が医師になるが云々」という記事がありました。
XYLと「今はそんな受験科目なんだ!」と驚いたのですが、よくよく読んでみると、どうもその記事を書いた劇作家は理科系の学科を物理しか知らないのではないかと思えてきました。 
たぶん理科系の学問だけ強い人間を医師にしているが、それでよいのか? と言いたいようで。
もしそうなら、それは当たりですね。 医学部に入学する前に他の学部での学位が求められる国も有るそうですから。 専門馬鹿は臨床医には向いていないことは間違いない。
おまけに、一般的なJAの国民は世界でも有数の「あなたまかせ」で「論理的思考に遠く」、また「医師は神様の次に偉い」と思っている人々ですから、その人たちに理解させ自分の健康を自分で守るような習慣をつけさせるには、文科系の素養も必要になってきます。
PGJの一族の老人達を見てみても「医師がそのようなことを言うわけない」ということを「先生にこう言われたから」と曲解して自爆テロに走る困った人たちの居ること居ること。
世界最悪の患者の居る国日本では、「強力」な説明力を持つ医師が必要なことは間違いありません。
かつてXYLの同僚だった医師たちも「自分の体だってわからんのに、他人の体の中がわかってたまるか」「人体は未だに未知の宇宙。 わからないことのほうが多いのに診療について100%もたれかかられても困る」だそうで。
PGJの掛かりつけの病院の医師も「わからないものはわからない。AとBを試してみてどっちか良いほうで行こう」と説明してくれますから、なるべくPGJも「AではどうだったBではどうだった」という経過報告をする形で通院しています。
こうすると医療側も、患者側も納得の行く診療が続けられるようで、PGJのその医師に対する満足度は高いです(あれで事務職員の訓練がもっとできたらいうことないが田舎でそれを求めても無理か)。 
しかし、年寄り達の話を聞いていると「よくなんないというと先生に悪いから『良くなりました』と言っているのよ」なんて話も聞こえてきまして、意思伝達能力の枯渇した(もともと無い?)老人と、専門馬鹿の医師の組み合わせでどんなことが起きるか。
だいたい人間の健康なんて「1=よくなった、0=よくなりません」のデジタルな物であるわけないのに、どうしてそのような馬鹿な会話が診療室で聞かれるのだろう?
そんなだから、治療に不満足で、さらに健康状態が改善しないから病院を変える、そのたびに似たような検査と診療の繰り返しでコストばかり無駄に食う。
そもそも高齢になって体の異常がどこも無いなんてありえないわけで、これくらいの異常は誤差のうち「歳なんだから」で納得することは医療側も患者側も理解すべきでないかね。
医師の資質もそうだが、患者の資質も何とかしないと、アホどもに社会保障費を食い尽くされてしまう。  
くわばらくわばら

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