幸か不幸か?

人生の運不運は簡単にその時その時の短期的な評価では片付けられないなぁ とPGJはつくづく思います。
PGJの仕事の場合
大学卒業後勤めたあの食品工場が潰れたからこそ、外資の食品メーカーにもぐりこめた。 あのままあの会社があっても安月給の上、牛肉偽装の責任者で豚箱行きだった可能性大有り。
外資の食品メーカーであまりの激務(サービス残業150時間/月)でかなわず。海外出向に逃げ込んだら、もっとハードな環境ではあったが日本市場を知る神として思う存分仕事が出来た。
おかげであらゆる種類の食品品質事故とお付き合いできた。
これまたそのおかげで、いろんな方面の専門家と知り合うことができて「へー」なノウハウを教えてもらえた。
中国大陸転勤を断って辞めてZLで1年以上遊んでいたからこそ、ZLを十分知ることが出来、現地で次の仕事が見つかった。 英語で工場監査を受けると言う「ゲゲッ!」な経験を受けたおかげで、西洋風品質哲学が身に付いた。
ところがこれがドル高不況で会社が無くなり。。。
現地の会社が潰れたからこそ、日本で職探しして外資医療機器の日本法人でGMPを学べたし年収も跳ね上がった。 医療機器の事故率と給料の高さに仰天しながら、あまりに簡単にカイゼンできる退屈な医療機器に早く見切りをつけて、食品関連業界である食品容器業界に転職したからこそ、食品業界に居ていつもブラックボックスで頭痛の種だった容器事故の深淵を見ることが出来た。 
そこでは「大手」と呼ばれる食品工場がいかにろくでもない製造環境で作っているかもろいうことを見て日本の後進性に驚き。 決められたことが守れない国民性を堪能しましたhi むろん「おーここはすばらしい」という工場も当然ござんしたよ。
容器会社では、あまりに過労で倒れる人が多いし、自殺者は出るし「これでは次は自分か?殺される!」と思って転職活動していたら、とある食品会社にもぐりこめた。
波乱万丈不幸の連続のPGJの職歴ですが、「あの不幸があったらからこそ今のラッキーがある」と思うようにしています。
そんなPGJが過労で倒れた会社ですから、、前職はすごかった。。。
今の会社に入る際の面接で「なぜ、会社を変わりたいのですか?」と質問されて「土日は休みたいから」。 こんな理由でいいのかよ?と思ったら、ほかにも同じ理由で入社してきた管理職が居た。 全開バリバリできる人材を8割運転させて効率よく仕事させる社風なのかな? それはこれから様子を見ましょう。
まぁ、ともあれ、今度は長く続けたいねぇ。。。 と言いつつこのブログを書き出してからすでに4社目。 やっと戻った食品業界。 定着したいなぁ。
「昨今、失業すると、再就職がほぼできない。」とよく報道されていますが、若いのにろくな教育も受けず、仕事も熱意を持って取り組まず、それで自分の商品価値が身につくわけ無いではないか。 ひどい目にあっても、その時々の難問をやっつけたら後で、その「経験の引き出し」を開いて生きて行くことができるものですよ。
まぁ、自分の引き出しをがんがん作れるのも若いうちですね。 アラゴになると体力が落ちてきて過去の引き出しを開いて覗くほうが多くなりそうな気がしてきました。

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